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京都の高級漆器店 美濃屋(みのや)
工芸室 永島明子
2001年03月10日
2025年12月16日更新
今回は、ちょっぴりぜいたくで、とってもすてきな器(うつわ)を商(あきな)っていた「美濃屋(みのや)」という、京都の高級漆器(しっき)店のお話です。
漆器(しっき)は、文字通り漆(うるし)が塗(ぬ)られた器。漆は、ウルシという木から採れる粘(ねば)り気のある樹液(じゅえき)で、乾(かわ)くと大変硬(かた)くなり水を弾(はじ)きます。顔料を混ぜて絵の具のように使ったり、器の表面に貝殻(かいがら)や金属の粉などを貼(は)り付けて文様を作るための、強力な接着剤(せっちゃくざい)として使ったりもします。丈夫な漆器を作り、その上にさらに漆で美しい装飾(そうしょく)をほどこすには、大変な手間と暇(ひま)がかかります。そのような漆器は高級品として扱(あつか)われました。美濃屋はこの高級品を商うお店でした。
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花鳥蒔絵銘々盆
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黄漆塗菊花形漆絵銘々盆
漆器老舗美濃屋保存資料 銘々盆各種のうち 明治~昭和時代 19~20世紀 京都国立博物館蔵(稲垣孫一郎氏寄贈)
漆器老舗美濃屋保存資料 銘々盆各種のうち 明治~昭和時代 19~20世紀
京都国立博物館蔵(稲垣孫一郎氏寄贈)
美濃屋の創業(そうぎょう)は安永元年(あんえいがんねん:1772)。現代のお店のように既製品(きせいひん)を並(なら)べて販売(はんばい)するのではなく、伝統的(でんとうてき)な受注生産の形をとっていました。受注生産は、お客さんの注文を聞いてはじめて品物を作る方法です。美濃屋の主人は、お客さんの好みや家柄(いえがら)などを考えながら、どんな漆器を作るのかを決めました。器の形・大きさ、漆の色・艶(つや)、図柄(ずがら)、文様といったことを一から考え決めていくのです。注文を受けてから製品がお客さんに納品(のうひん)されるまでに1年から3年ほどかかったと言いますから、どれほどじっくりとものづくりが行われていたか、想像できますね。
このようなお店のお客さんは教養も高く、ウイットを好む人も多かったでしょう。美濃屋の主人には、優(すぐ)れた美的センスだけでなく、お客さんと対等に話せるくらいの教養が求められました。例えば、古典文学作品の一場面をそのまま器に描(えが)くのではなく、作品をよく理解し、そのエッセンスを気の利いたデザインにまとめてみせなければならないのです。また、そのように製品を作ってくれるよう、職人に対して的確な指示を出せるほどに十分な、技術的知識も必要でした。
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朱漆塗菊花蒔絵木瓜形銘々盆
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黒布目塗椿花蒔絵銘々盆
漆器老舗美濃屋保存資料 銘々盆各種のうち 明治~昭和時代 19~20世紀 京都国立博物館蔵(稲垣孫一郎氏寄贈)
漆器老舗美濃屋保存資料 銘々盆各種のうち 明治~昭和時代 19~20世紀
京都国立博物館蔵(稲垣孫一郎氏寄贈)
美濃屋のすごいところは、主人の手腕(しゅわん)に限られません。主人の指示に応え、その期待以上の品質の漆器を作る、大勢の優秀(ゆうしゅう)な職人たちに支えられていたところにもあります。
長く使ってもゆがみやひびのこない上等な漆器を作るには、あらゆる工程で細心の注意を払(はら)い、丁寧(ていねい)に仕事をする専門(せんもん)の職人が必要でした。木地(きじ)を加工(かこう)する轆轤師(ろくろし)や指物師(さしものし)、その上に漆を塗る塗師(ぬし)、さらに金や銀などの金属粉を使って装飾(そうしょく)を加える蒔絵師(まきえし)たちです。しかも、美濃屋の暖簾(のれん)を支えた職人は、それぞれの高度な技術だけでなく、豊かな芸術的才能も持ち、創意工夫(そういくふう)を怠(おこた)らない名工とよばれる人々でした。
漆器老舗美濃屋保存資料
唐花唐草七宝塗菓子器
塗り:青野伊助
明治時代 19 世紀
京都国立博物館蔵(稲垣孫一郎氏寄贈)
明治時代以降(めいじじだいいこう)、「作家」という考え方が生まれ、職人たちは徐々(じょじょ)に個人単位で仕事をするようにもなります。しかし、お客さんの要望を理解し、十分な技術的・文化的知識と芸術的センスを併(あわ)せ持った主人と、時には挑戦的(ちょうせんてき)とも言えるその指示に対し、技術と工夫とで応えた名工たちとの共同作業は、より厳(きび)しく洗練(せんれん)された漆器を創作(そうさく)したように見受けられるのです。美濃屋製の漆器は、「美濃屋」という一軒(いっけん)のお店の下に結ばれたプロ集団の連携(れんけい)プレーによって、その品質と品格を保たれていたと言えるでしょう。
戦争中の昭和(しょうわ)18年(1943)、厳しい時世ですが、美濃屋は、昭和天皇(しょうわてんのう)の第一女、照宮(てるのみや)の婚礼(こんれい)のために和食器を揃(そろ)えて納(おさ)めています。それほどの実力ながら、終戦の年、第九代目当主・故稲垣孫一郎氏(こいながきまごいちろうし)によって、美濃屋の暖簾は下ろされました。材料と職人の不足から、今までの品質を保てないとの判断からです。ものづくりに対する激(はげ)しく妥協(だきょう)を許さない意識の表れです。
平成(へいせい)2年(1990)、稲垣氏は美濃屋の商品見本や歴代当主の愛蔵(あいぞう)の漆器など、合計260件強をその詳細(しょうさい)な目録(もくろく)と共に当館に寄贈(きぞう)されました。このコレクションは、良き時代の京都のものづくりの一端(いったん)を伝える貴重(きちょう)な資料となっています。一生に一度でも、最高級の漆器を注文するチャンスがあるとしたら、みなさんはどんな漆器を注文しますか?夢の漆器を想像しつつ、優(すぐ)れた技と豊かな遊び心に満ちた伝統の京漆器を、どうぞお楽しみください。