工芸室 降矢哲男
2020年12月19日
鮮(あざ)やかな色彩(しきさい)で何冊(さつ)か重なった本(図1)。難(むずか)しそうだけど中身はどんなものだろう。しかし、読んでみようと本の頁(ぺーじ)をめくろうとしてめくれない。それもそのはず、この本は土を練り固めて焼いて作られたやきものだからです。
それでこの本のようなものは、いったい何のために用いられたものなのでしょうか。答えからいってしまいますが、これは、硯箱(すずりばこ)の蓋(ふた)として用いているものです(図2)。『栄花物語(えいがものがたり)』という歴史物語の和装本(わそうぼん)を積み上げた状態(じょうたい)にしたものを、その形状(けいじょう)を写し取ってやきものとして作り出しています。よく見てみると冊子の数が分かりますが、7冊重ねた状態が表されており、1冊ずつの厚(あつ)さが異(こと)なるなど、細部へのこだわりもみることができます。『栄華物語』とは、全40巻から構成(こうせい)される平安時代後期の歴史書で、藤原道長(ふじわらのみちなが)(966~1028)、頼通(よりみち)(992~1071)の栄華(えいが)を中心に、平安貴族(きぞく)の生活を物語風に綴(つづ)ったものです。
硯箱の蓋の上に、白い短冊(たんざく)を貼(は)り付けたように表現(ひょうげん)した部分に「栄花物語 御賀(おんが)」と銹絵(さびえ)で記してあります。『栄華物語』の「御賀」の巻は、藤原道長の妻である倫子(りんし)の六十のお祝いの様子を記した巻で、「御賀」という言葉が特に長寿(ちょうじゅ)をよろこび祝うという、おめでたい言葉であることから、一番上になる巻にこの巻が選ばれたことと考えられます。「御賀」の題箋(だいせん)の周りに、紺色(こんいろ)の紗綾文地(さやもんじ)の上に、赤色で菊花(きっか)、緑色で菊の葉を描き、金彩(きんさい)で縁取(ふちど)りをしています。菊文(きくもん)の部分には透(す)かし彫(ぼ)りがみられ、その部分が少し煤(すす)けています。このことから、硯箱になる前は、香炉(こうろ)として使われていたと考えられます。また、この蓋の裏側(うらがわ)と、身の部分の硯箱には梨地蒔絵(なしじまきえ)が施(ほどこ)されています。蓋裏については、香炉として使われた時の煤けた部分を覆(おお)い隠(かく)すためだったと思われます。
さて、この硯箱のような色絵陶器(いろえとうき)の一群は、一般に古清水(こきよみず)と呼んでいます。同じように冊子の形をした香炉や花入(はないれ)などが他にみられることから、江戸(えど)時代に流行していた作風であったと思われます。印や銘(めい)などはみられないことから、どこの窯(かま)で焼かれたのか、そして、どのような陶工(とうこう)が作ったものかについてはっきりとしません。鹿苑寺(ろくおんじ)(一般に金閣寺(きんかくじ))の住持(じゅうじ)の鳳林承章(ほうりんじょうしょう)(1593~1668)が記した日記『隔蓂記(かくめいき)』などの記述(きじゅつ)から、京都には清水焼(きよみずやき)、粟田口焼(あわたぐちやき)、八坂焼(やさかやき)、御菩薩池焼(みぞろがいけやき)、音羽焼(おとわやき)、修学院焼(しゅうがくいんやき)、岩倉焼(いわくらやき)など、いまでも地名として残る場所に様々な陶器窯(とうきがま)があったことがわかっています。ことにこの硯箱のような色絵陶器などは、どの窯においても、作られる形や作風が似通(にかよ)っており、一部を除(のぞ)いては多くが窯の名前を記した印(判子(はんこ))、やきものを作った陶工の名前などが分かる銘を書くなどしていないことから、区分が難しく、それらのやきものの総称(そうしょう)として古清水と呼(よ)ばれます。
日本文学の研究者の方に教えていただいたのですが、『栄花物語』は江戸時代にもよく読まれ、寛文(かんぶん)年間(1661~73)には版木(はんぎ)に彫り付けて作った整版本(せいはんぼん)が出来ており、それが9冊組で作られていることがわかっているそうです。この硯箱は本を糸で綴(と)じた部分が紙の束に合わせて膨(ふく)れているところや、蓋の上部が実際(じっさい)に本を重ねているかのようにたわんでいるところなども細部が忠実(ちゅうじつ)に表現(ひょうげん)されています。こうした状況からこの硯箱を作った陶工は、実際に本が重なっている状態を見てから作っている可能性(かのうせい)が高いと考えられます。仮にこの硯箱が香炉として用いられたときに台の部分があり、その部分が2冊分の本を現(あら)わしていたとすると、蓋の7冊分と合わせて、寛文年間の9冊組の『栄花物語』と冊数が一致します。このように本や文学など、他の分野の視点(してん)からやきものをみると、作られた時代性や人々の好みなどが分かり、やきものの分野では想定し難(づら)いことも見えてくることがあります。
当館の展示でも様々な分野の作品が展示されていますので、皆さんもちょっと見方を変えて作品を見てはいかがでしょうか。
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