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瀬戸物と中国陶磁(せとものとちゅうごくとうじ)
工芸室 尾野
1998年07月11日
瀬戸物(せともの)とは、もともと瀬戸(せと)の地域(今の愛知県瀬戸市(あいちけんせとし)周辺)で作られた焼きものを指す言葉です。しかし、瀬戸が焼きものの生産地として有名であったために、いつの間にか、必ずしも瀬戸で作られたものに限らないで、広く焼きものを指す言葉として使われるようになってしまいました。
瀬戸のあたりで焼きものが作られ始めるのは非常に古く、古墳(こふん)時代にまでさかのぼります。しかし、瀬戸の焼きものが他の地域の焼きものとは違った特色(とくしょく)を発揮(はっき)するようになるのは、だいたい鎌倉(かまくら)時代の初めごろのことです。日本の焼きものには、地域ごとに強い特色がありますが、瀬戸で作られたものの一番の特徴(とくちょう)はうわぐすりがかけてあることです。鎌倉時代に日本でうわぐすりをかけた焼きものを作っていたのは、瀬戸が唯一(ゆいいつ)といってよく、他の地域で作られていた焼きもののほとんどは、うわぐすりをかけていないものでした。そういう意味では、鎌倉時代の瀬戸物は高級品だったといえるかもしれません。
しかし世の中、上には上があるもので、瀬戸物よりも高級品であったと考えられるのが、中国から輸入(ゆにゅう)されてきた焼きもの(中国陶磁(とうじ))です。当時、日本と中国との間の貿易はかなり盛んだったようで(これを日宋貿易(にっそうぼうえき)といいます)、日本向けにたくさん輸出された商品の一つが焼きものだったのです。写真1~3の白磁四耳壷(はくじしじこ)・青白磁刻花唐子唐草文瓶(せいはくじこっかからこからくさもんへい)・青白磁経筒(せいはくじきょうづつ)は、その代表的な例といえるでしょう。
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【1】白磁四耳壷 伝奈良市奈良坂出土
<京都国立博物館蔵> -
【2】青白磁刻花唐子唐草文瓶 京都市法勝寺跡出土
<京都国立博物館蔵> -
【3】青白磁経筒 伝福岡県四王寺山経塚出土
<京都国立博物館蔵>
こうした中国製の焼きものは、遺跡(いせき)を調査するとしばしば発見されますから、かなりの人気商品だったようです。人気商品というのは、売れ行きがいいわけですから、えてして品薄(しなうす)になりやすく、その結果ニセモノが出回ったり、品薄にならなくても、売れ筋(うれすじ)のものなら本物より値段を安くした類似品が出てきたりするのが世の常です(しばらく前に、爆発的(ばくはつてき)に売れていた〈たまごっち〉もそうでした…)。
瀬戸物の灰釉四耳壷(かいゆうしじこ:写真【4】)や鉄釉劃花文瓶子(てつゆうかっかもんへいし:写真【5】)を、写真【1】の白磁四耳壷や写真【2】の青白磁刻花唐子唐草文瓶と較(くら)べてみて下さい。
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【4】灰釉四耳壷 <京都国立博物館蔵>
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【5】鉄釉劃花文瓶子 <東京国立博物館蔵>
全体の形が非常によく似ています。日本製の焼きものとしては高級品だったのでしょうが、瀬戸物が中国の陶磁器をマネしていることがはっきりとわかります。こうしたことからも、白磁四耳壷・青白磁刻花唐子唐草文瓶のような中国の焼きものが、日本での人気商品であったことが理解できるでしょう。
しかし、マネしている割には瀬戸物と中国陶磁は見た目にずいぶん違います。原料(げんりょう)の差や作り方の違いもあるのですが、水色の焼きものをマネしてるのに茶色のうわぐすりをかけたりしているのは、わざとやっているとしか思えません。瀬戸物の壷におされたスタンプの模様(もよう)も、この時期の中国の焼きものにはあまり見かけないものです。どうやら、瀬戸で焼きものを作っていた人たちは、中国陶磁をマネしながらもかなり強い個性(こせい)を発揮していたようです。
鎌倉時代には、中国陶磁のほうが瀬戸物より高価であったことは、ほぼ間違いないと考えられますが、どちらが美しいかとなると話は別です。何をきれいだと感じるかは人によって違いますし、時代によっても変わります(ふくよかな平安美人(へいあんびじん)が、現代ではあまり人気がないらしいのもその一例でしょう)。さて、あなたは中国陶磁と瀬戸物どちらが好きですか?