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伊万里染付VOCマーク皿(いまりそめつけVOCまーくざら)
工芸室 尾野
2000年01月08日
このお皿【写真1】は、九州(きゅうしゅう)の肥前有田(ひぜんありた:今の佐賀(さが)県有田町)で焼かれたもので、描かれている模様や焼き上がりぐあいから江戸(えど)時代前期、17世紀後半ころのものと考えられます。さて、このお皿の真ん中に変なマークがついていますが、これは一体何でしょう?どうやらアルファベットのVとOとCという文字を組み合わせたもののようです。江戸時代といえば鎖国(さこく)の時代で、日本はあまり外国とのつきあいがなかったはずです。なぜ日本製のお皿にヨーロッパの文字が記(しる)されているのでしょうか?
実は、このVOCというのは、当時鎖国していた日本とヨーロッパで唯一つきあいのあった国・オランダの東インド会社のマークなのです。会社のマークが付いていることから考えて、このお皿が特別な注文品として作られたことは、まず間違いないでしょう。しかし、オランダと日本といえば、ずいぶん距離がありますよね。今ならジェット飛行機でひとっ飛びですが、当時の人々が船で行き来するにはずいぶん時間がかかったはずです。それなのに、なぜ、オランダからわざわざ遠い日本に焼きものの注文をしたのでしょうか?
この問題を考える上でのポイントは、お皿の模様にあります。お皿の内側は、縁(ふち)の部分が6つの区画(くかく)に仕切(しき)られていて、上から見た時に区画の一つ一つを花びらに見たてると、芙蓉(ふよう)の花の開いた状態のように見えないこともありません。このため、こうした模様をもつ陶磁器(とうじき)を芙蓉手(ふようで)と呼んでいますが、これは元々中国(ちゅうごく)製の磁器に描かれていた模様でした【写真2】。
1602年に設立されると、オランダ東インド会社はすぐに中国をはじめとする東洋との貿易に乗り出します。この時、中国からの輸出品として喜ばれたのがこの芙蓉手の磁器でした。このため、17世紀の前半には、かなりの量の芙蓉手の磁器がヨーロッパに運ばれていました。ところが、1644年にそれまで中国を支配していた明王朝(みんおうちょう)が反乱(はんらん)によって滅亡(めつぼう)してしまいます。そして明に代わって中国を支配したのが清(しん)王朝でしたが、この清王朝に最後まで抵抗(ていこう)したのが、台湾(たいわん)を根拠地(こんきょち)としていた鄭成功(ていせいこう)とその一族でした。なかなか降伏(こうふく)しない鄭成功一族を困らせるため、清王朝は船が海に出て貿易することを禁止してしまいます(1656年)。ただでさえ戦乱で生産が進まなかったのに、これで中国からの焼きものの輸出は、ほぽ完全にストップしてしまったのです。
そこで、オランダ東インド会社は、この人気商品であった芙蓉手の磁器を別のところに注文して作ってもらおうと考えたのでした。しかし、当時のヨーロッパには、まだ磁器を作れるだけの技術がありませんでした。そこで彼らが注目したのが日本の有田焼だったのです(有田焼のことを伊万里(いまり)と呼びますが、これは有田焼の多くが伊万里から出荷されたことによるものです)。日本では、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から来た李参平(りさんぺい)という人によって、17世紀のはじめには既(すで)に有田で磁器生産に成功していたのです。
これで、もうわかりましたよね。なんと、このお皿が作られた背景には、当時の世界情勢が関係していたのです。