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No.38
庭園散策—二つの石造物—
赤尾 栄慶
数多くを知っているわけではありませんが、当館のように美しい庭園を 持っている博物館・美術館は世界的にみても少ないのでは なかろうかと思います。そこで今回は庭自慢を兼ねて、庭園の散策を お勧めしたいのです。
まず最初は、南西の角の方へご案内します。そこには五条大橋の橋脚と橋桁があります。私などは、年に二、三度実施する某大学の見学会には、必ずといっていいほどこの前に立って、みんなが知っている現在の五条大橋は、天正 17年(1589)豊臣秀吉によって現在の位置に移されたもので、それ以前は今の松原橋の所にあったのだと説明することにしています。当然のことながら、牛若丸と弁慶が橋の上で出会ったとしても、今の五条大橋の上ではないとも…。
その前には金属の解説板が設けられています。その解説板には、洛中洛外図(舟木本)に描かれた方広寺の大仏殿と五条大橋の部分が焼き付けられていますが—最近はその焼き付けがややうすくなっていますが—、ここに描かれている五条大橋の石造の橋脚こそが眼前の石柱なのだとあります。まさに現在の五条大橋の初代の橋脚と橋桁、そのものなのです。いかにも京都らしい、遺物ではありませんか。
ただ一つ不満なのは、これを見上げると顔がどうしても京都駅の方向に向いてしまうことです。やはり、見上げれば、五条大橋の方角という風に将来的に移設してもらいたいものです。
今度は東南の角にある東の庭へ。そこには昭和50年(1975)に山本あや氏からご寄贈いただいた李氏朝鮮時代の墳墓表 飾石造遺物が東の庭全体に並べられています。文官・武官などの石人13躯、石羊2頭、石灯籠2基、石造方台(魂遊石)8基などが並べられています。大正の初年には大阪山本家の日本式庭園の要所に巧みに配されていたということなのですが、昭和50年10月の同園の廃滅にともない、当館にご寄贈いただいたものです。何年か前までは、墳丘に見立てた土盛りの中心に大きなしだれ桜がありましたが、現在では代替わりをして育成中のようです。
ここに来ると、何か不思議な感覚に襲われますが、でも何か落ち着くような気もします。あまり人目に付かないところなので、いつも学生にはここが京都のデート・スポットの穴場だと説明しています。天気のよい休日の午後、特に桜や藤の季節にここで缶ビールを1本やれば、—これは既に体験済ですが—本当に最高な気分です。
最近は昭和33年(1958)に美術愛好家の上田堪一朗氏よりご寄贈いただいた茶室「堪庵」も公開されていますので、美術品鑑賞のついでに庭園もゆっくり散策していただければ幸いです。
[No.138 京都国立博物館だより4・5・6月号(2003年4月1日発行)より]