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No.58

狩野永徳展の物語

中部 義隆

 京都国立博物館で狩野永徳の展覧会を開催すると聞いて、期待とともに若干、不安に思った。狩野永徳の名は桃山芸術を代表するほど有名だが、誰もが真筆と認める作品は極めて少ない。

 京都国立博物館での開催となると、これらの作品は是非とも出陳せねばならないし、その他の作品を、企画の柱となる作品と関連付けて、広い展示場に狩野永徳の芸術世界を展開せねばならない。具体的に言えば、果たして、広い展示場にどのような作品を並べるのか、作品を選定する基準はどのように設定するのかという危惧であった。もちろん、展覧会には確実な作品しか出陳できないわけではなく、担当者が必要と判断すれば、この場合、作品に狩野永徳の芸術との関連性が認められれば良いのであるが、この作品の位置付けは容易ではない。

 このような課題は多かれ少なかれ展覧会にともなうのだが、巨匠、狩野永徳ともなると、プレッシャーは相当に強くなる。「大変だろうな」というのが、正直な感想であった。

 しかし、一方で、狩野永徳展を開催するならば、京都国立博物館しかないだろうという思いもあった。私自身も日頃、展覧会に携わっていることから、他人事とは思えなかったのだ、展覧会を一巡して、さすがに上手く構成されているなと、主催者でもないのに、安堵感と満足感を感じた。展覧会は六つのコーナーで構成されていた。

 最初のコーナー、「墨を極める」の中心は「大徳寺聚光院襖絵」であった。この作品の溌剌とした生動感は圧倒的であり、これほど直接的に鑑賞者に働きかける絵画表現は、狩野永徳以前には見当たらない。

 「これから始まる狩野永徳の芸術世界は、この作品の示す美意識を参考にして、観賞して下さい。」というメッセージを感じた。続く「永徳と扇面画」では、水墨画として前のコーナーと連続するが、特殊であると同時に、伝統的な画面形式の扇面に描かれた作品であることから、むしろ永徳芸術が狩野派の伝統に根ざしていることが確認できたように思う。つまり、コーナーとして独立させた意義がある訳で、あらためて、「大徳寺聚光院襖絵」の革新性を問い直すこともできる。

 次の「為政者たちのはざまで」では、織田信長、豊臣秀吉など、作品の依頼者となった時代の覇者たちと関連する作品を紹介し、桃山という時代のイメージを、作品の造形的なイメージに重ね、時代背景の厚みを持たせている。

 次のコーナー、「時代の息づかい—風俗画—」では、戦乱から復興しつつある町や名所の光景を描く作品が集められていた。この繁栄は時代の覇者によってもたらされたもので、特に狩野永徳の代表作品の一つである「洛中洛外図屏風」(米沢市上杉博物館蔵)は、まさに天上から睥睨する覇者の視点を感じさせる。

 続く「桃山の華—金碧障壁画」のコーナーは、現実の光景から一転し、美しい花が咲き、鳥たちが群れ遊ぶ理想郷と、和漢の故事に取材する光景を、金地の画面に極彩色で描いた作品をまとめていた。敢えてサブタイトルに「金碧障壁画」を加えたのは、これらの濃密なエネルギーを内に含む豪華な作品が、覇者の邸宅を飾っていたという現実感を重視したのだろう。

 最後のコーナー、「壮大なる金碧大画」はまさにフィナーレである。「唐獅子図屏風」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の、縦二百二十四センチ、横四百五十三センチというスケールの大きさ、その重量感、立体感に圧倒される。獅子の顔は伎楽面の崑崙を想わせ、むしろ筋骨隆々とした二人の力士が肩を並べ、地響きを立てながら歩む光景のように思える。「檜図屏風」(東京国立博物館蔵)においても、同じ力強い生命力が宿っているように、檜の大木が動物のように枝を伸ばし、作品の内に込められたエネルギーが、一気に溢れ出たような印象を受ける。

 これで、展覧会の物語は終わるのだが、最後のコーナーの強い余韻によって、再び、この物語の入口に展示された「大徳寺聚光院襖絵」に戻されていく。この展覧会の出陳点数は七十一件であり、通常、京都国立博物館で開催される特別展の半分ほどではないだろうか。襖や屏風など大きな作品が多いことによるのだが、この展覧会では、むしろ出陳件数が少なく、大きな作品が多いことをプラスに転化している。作品を厳選でき、掛幅作品ほどには、鑑賞者に疲労感も与えなかったのではないか。それに、京都国立博物館の展示場が、このような大型作品の展示に適していることも再確認できた。

 作品点数の少ないことは、図録の編集にも大きな影響を与える。少ない作品でいかに充実した内容を保てるかが問題になるが、通常の展覧会ではかなわない部分の拡大図を数多く取り入れて鑑賞性を高め、作品解説においても、挿図をもちいた作品の比較を試み、個々の作品の位置付け、すなわち、作品を展覧会に出陳するにいたった企画者の意図が明確に示されていた。おそらく、このような展覧会は京都国立博物館でなければ、不可能であろう。長年にわたる社寺調査の成果にもとづく広い視野から、展覧会の企画構成、作品の展示法にいたるまで、伝統の底力を感じさせられた。

 この展覧会の最初のコーナー、「墨を極める」に展示された「大徳寺聚光院襖絵」が、平成8年の秋に開催された特別展「室町時代の狩野派」において、最後のコーナーに展示されていたことが思い起こされる。

[No.158 京都国立博物館だより4・5・6月号(2008年4月1日発行)より]

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