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No.65

シルクロード 文字を辿って—ロシア探検隊収集の文物

国際仏教学大学院大学・教授

落合 俊典

 今回の展覧会は、文字資料世界の地味さと比較して実に華麗な展観であったと言えよう。これはロシアの小説に似通っている。登場人物の名前がなかなか覚えられず、本を閉じてしまった記憶があるかも知れないが、少し我慢して読み進めるとグイグイ引き込まれてしまうのと同様である。

 ロシアの文字(キリル文字)も英語に慣れた日本人には扱いにくい。そのロシアのサンクトペテルブルグ(旧レニングラード)にあるロシア科学アカデミー東洋写本研究所の中央アジア出土資料を閲覧するのは容易ではない。敦煌の漢字資料や中央アジアの諸言語を見るためにはキリル文字で書かれた諸規則の壁を乗り越えなければならないからだ。それらの貴重な資料が京都の博物館で簡単に見ることが可能となったのは関係者の並々ならぬ尽力の賜物であると感謝したい。

 展観はその出土地域によって四部構成になっている。①コータン、②クチャ・カラシャール・トルファン、③敦煌、④カラホト。②の地域はひとつとするにはあまりにも隔たっているが、便宜的に区分けしたものであろう。

 先ず①で特に目を引くのはサンスクリット語で書かれた『迦葉品』である。この写本を基にしてチベット語訳と漢訳とを並べて校訂したホルシュタインの研究書が著名で仏教研究者の必須本となっている。次にカローシュティー文字で書かれた『ダルマパダ』(漢訳『法句経』)はガンダーラ語文献であるが、図録に参考文献として示されたブラフ教授の研究書は裨益するところ大である。ガンダーラ語のダルマパダには興味深い記述が残っている。それはGandhari Dharmapada 317にudaka-vaya(水鳥)とある偈頌であるが、ここは本来udaya-vyaya(生滅)としなければならないところである。ブッダの教えを聞き違いして水鳥と覚えていた弟子に対して、多聞第一の阿難尊者が訂正させたのである。この因縁譚は中国の北魏に漢訳された『付法蔵因縁伝』(巻二)あたりから広まったようである。来日したブラフ教授が講演で話され、それを聞いた京大の御牧克己教授が本庄良文氏に語ったそうである。筆者は本庄氏から教わったのであるが、日本でも法然上人の弟子であった信瑞の『明義進行集』にも出てくるほど嘗ては学僧の常識であったようである。

 ②にはサカ語、ソグド語、クチャ語、サンスクリット語などの文字資料が展観されているが、中でもウイグル語文献が興味深い。漢訳された義浄訳『金光明最勝王経』のウイグル語訳や『大慈恩寺三蔵法師伝』などが中央アジア語のウイグル語に翻訳されている。その現物が直接見られることに少なからぬ興奮を覚える。義浄訳はサンスクリット語文献と異なると言われているが、漢訳からの訳(重訳)が存すること自体不思議である。この地は玄奘の『大唐西域記』によればサンスクリット語が寺院では使用されていたのである。この奇妙な事象はまさに中央アジアが諸言語の坩堝であったことを物語っている。

 ちなみに三蔵法師玄奘の伝記『大慈恩寺三蔵法師伝』がウイグル語に訳されたのは玄奘がアジア各地に大きな影響を与えた例証に他ならないが、玄奘はインドにも大きな影響を与えた。彼が留学した中天竺の寺院には壁に異文化の人玄奘の影像が画かれていたという。百数十年後に訪れた日本人僧侶、金剛三昧(俗名未詳)の報告である。これは段成式(773〜863)の『酉陽雑爼』巻三に出てくる。

 ③は日本に最も馴染みの深い敦煌である。書道を学ぶ者には垂涎の列品であろう。隋唐の写経は日本の奈良平安写経を見ているものには親近感が一層高まるが、筆者は隷書体の『正法華経』巻十の断簡などに目が向く。敦煌菩薩と称された竺法護(239〜316)の漢訳である。彼は敦煌に住む月氏族系の帰化人であった。梵語と漢語によく通じ、古訳時代の第一人者であった。図録の解説では4世紀から5世紀の写本とあるが、この独特な雰囲気は日本の古活字本の風体に似てはいないだろうか。古拙さがたまらなく良い。

 ④はカラホト(黒水城)である。日本では西夏が通り易い。西夏の国の中心的都市がカラホトである。西夏文字は漢字に似て、漢字と全く異なる字体であるが、井上靖の『敦煌』をお読みの方は主人公趙行徳を想いだすに違いない。映画でも西夏文字と漢字との対訳字書が出てくる。その字書が『番漢合時掌中珠』である。

 以上の四部構成に加えて館所蔵の関係資料も出展させた特別展覧会であったが、図録もまた内容の充実した、いわば最良の研究書と称しても構わないものであった。総説には東洋写本研究所のポポヴァ所長による簡にして要のロシア探検隊史が述べられ、ついで京都大学人文科学研究所の高田時雄教授が日本学者の研究史を詳述し光彩を放っている。全体の構成は京都国立博物館の赤尾栄慶氏がなされたもので、出来上がりは研究書にして美術書と見紛う完成度である。

[No.166 京都国立博物館だより1・2・3月号(2010年1月1日発行)より]

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