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No.64

展覧会でつながる

永島 明子

 japan 蒔絵展(当館にて昨秋開催)を終えた。足掛け4年、輸出漆器の研究を始めてからだと14年の歳月が過ぎた。その間、本当に多くの方々のお世話になった。展覧会は人と人との信頼関係のうえに成り立つのだなあ、とつくづく実感した。

 お世話になった方々のなかに、ゴータ(旧東ドイツ)のフリーデンシュタイン城美術館のスタッフがいる。特に、英語が堪能なトーマスは、私が学生の頃から根気よく面倒をみてくれた。年齢はふたつしか違わないが、2メートル近い長身で、彼からすれば、ドールハウスに大喜びする私はまるで子供に見えただろう。蒔絵を再利用したこのドールハウスを、展覧会の折に片付けにきてくれたのもトーマスだった。

 この縁が、また新たな研究につながった。

 来春、当館では「THEハプスブルク」展が開催され、明治天皇からオーストリア皇帝夫妻に贈られた画帖や蒔絵がお目見えする。その図録の準備中、あるものが気になった。明治政府が最初の国賓イギリス王子アルフレッドへ贈った品である。

 ヴィクトリア女王の次男アルフレッドはのちに父アルバート公の実家を継ぐ。その実家こそ、ほかでもないフリーデンシュタイン城の城主であった。だからアルフレッドの遺品の大半は、トーマスの勤める美術館に遺されている。当館の蒔絵展と同時期にゴータで開かれたアルフレッド展では、明治天皇から贈られた蒔絵の数々が出陳されていた。

 ここまでは、ゴータからいただいた図録のおかげで分っていた。しかし今回、外務省や国立公文書館の記録を探るうちに、他にも贈り物があったことを知った。ふと、ゴータの過去の図録が頭をよぎった。来春のハプスブルク展に並べる画帖の一葉にそっくりな浮世絵、そして鮮やかな染付の鉢が収録されていた。それらも明治天皇からアルフレッドに贈られたものではないか。漢字だらけの公文書を睨みながら、頭はすでにチューリンゲンの森を駆けめぐり、巨大な城のなかで飄々と仕事をこなすゴータの仲間たちの笑顔に辿り着いていた。さっそくメールを書いた。

 「トーマス、元気? あの挿図の浮世絵は、所蔵が書かれてなかったけど、ひょっとしてお城の所蔵品? 日本の記録では、アルフレッドに、蒔絵と一緒に画帖10冊も贈られています。磁器の金魚鉢や植木鉢もです。収蔵庫に眠ってないかしら?」

 トーマスは、私の考えを直ちに理解し、当時の図録担当者に連絡をとって、すぐに写真つきの返事をくれた。

 「こんなにあったよ、メイコ! ぼくがどれだけ嬉しいかわからないだろう。明日、館長がどんな顔をするか楽しみだ!」と、画帖や金魚鉢の素性が解明されたことを喜んでくれた。シェーファー館長も自慢のビスマルク髭をひねりながら喜んでくださっただろうか。トーマスは「写真を撮りにおいで。新しいプロジェクトを進めよう。」と提案してくれた。

 明治政府の黎明期に行なわれた文化外交。その様子を伝える重要な作品群である。どうにか駆けつけたいものだ。

[No.164 京都国立博物館だより10・11・12月号(2009年10月1日発行)より]

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