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No.100
特別展「池大雅 天衣無縫の旅の画家」によせて
多摩美術大学教授
木下 京子
今春に開催された特別展「池大雅 天衣無縫の旅の画家」は、大雅の初期から晩年に至るまでの約160件の作品が出陳された圧巻の大回顧展だった。池大雅は多作な画家として知られるが、本展で紹介された作品は、特に賛者と画賛および書簡の内容を精査した上で慎重に採択されていた。大雅が萬福寺襖絵を描く際に参考にした伝張瑞図筆「秋景山水図」や大雅が実見したとされる趙珣筆「芦雁図」、董其昌筆「三行書」、さらには大雅自身が所持していた李珩筆「腕底煙霞帖」といった中国書画も並ぶ。池野秋平が池大雅になるべく、内面形成や制作姿勢に直接影響を及ぼした人々や作品を同時に目にすることができたその意義は大きい。
展示室に入るとまず池大雅の肖像画を観ることができる。大雅の弟子の福原五岳と三熊思孝が描く大雅像は大きく異なる。三熊思孝(花顛)は『近世畸人伝』の挿図を担当したことで有名だが、畸人伝の内容に加え、そこにある「唱和しながら三弦を弾く大雅と琴を奏でる妻の玉瀾の姿」は、後世における二人の人物像を決定づけた。しかし五岳の描く大雅は思孝のような底抜けの明るさはなく、求道者のようである。片膝を立ててその上に両手を乗せ、顔の頬もこけてやつれているが、眼光は鋭い。本展企画者の福士雄也氏は、大雅の座り方や苦悩に満ちた表情が道釈主題に通有し、師の聖性を付与しようとする意識が五岳にあったことを指摘している。さらに現存する唯一の自画像である「三上孝軒・池大雅対話図」がその隣に飾られたことで、これら肖像画から大雅その人の多面性を垣間見ることができた。
本展は旅を主要テーマに据えている。董其昌は『画禅室随筆』の中で、「書画六法、一気韻生動、気韻不可学、此生而知之、自有天授、然亦有学得處、読万巻書、行万里路、胸中脱去塵濁、自然丘壑内営、立成鄄卾、随手写出、皆為山水伝神矣(気韻は天から授かり生まれながらに知っているもので、学ぶことはできない。しかし万巻の書物を読み、万里の道を歩き、胸中の塵やよごれを取り除けば、自然に山々が生まれ、たちどころに輪郭ができ、手の赴くままに描けば、すべて山水の神髄を写したものになる)」と説いている。これは大雅にとって金言となったはずだ。大雅には「已行千里道、未読万巻書」という印があるが、少しでも董其昌に近づき、真の文人になりたいという意思の表れなのだろう。篆刻にも通じていた大雅には数多くの印があり、中でも「三岳道者」印は頻繁に使用された。款にも「三岳」や「三岳書(画)」、「三岳道者」などと記されていることが多い。「三嶽」の表記も多々見受けられる。三岳とは白山、立山、富士山の三霊山を指しているが、大雅は吉野や熊野にも出かけており、これらの山々は修験道との関わりが深い。最初に実景を描いた「箕山瀑布図」も山岳霊場として有名である。
大雅にとって山を旅することは悟りや霊験を得ることでもあり、実践を通して胸中の塵やよごれを浄化し、山水の神髄を写すことを希求した。異国の仙境も自国の真景も大雅にとっては同じ山水を描くことであり、その神髄まで表現することに意味があったのだ。大雅にはまた「胸中の逸気」なるものもあり、例えば那智の滝を描いている途中で真景が見たくなり突然那智に旅立った逸話など、数々の大雅の突発的行動が後世に伝わっている。これは彼の内面の芸術運動の動きの必然性からくるものであり、逸気に伴い感興に任せて作画することは大雅が筆を執る本能的理由でもある。この自由さと大らかさが大雅作品を一層魅力的なものにしている。
多彩な作品を通して、時空を超えた大雅の自由な旅に想いを馳せることのできた心躍る展覧会であった。
[No.200 京都国立博物館だより10・11・12月号(2018年10月1日発行)より]