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No.99
表?裏?
京都国立博物館研究員
上杉 智英
ある休日の昼下がりのこと。私「お昼どうする?」妻「何でもいい」「じゃあカレー」「カレーは嫌」「(何でもいい??)」とのやり取りから、結局、十円玉に決めてもらう。表はカレー。裏は冷麺。文句なしで。これで決定、と思いきや、妻「どっちが表なん?」。
どっちが表で、どっちが裏か。はっきりと決まっているものもあれば、あやふやなものもあって表・裏はややこしい。担当している書跡にも「表?裏?」というものがある。先だっての国宝展に出陳させていただいた鳩居堂ご所蔵の『伝藤原行成筆仮名消息(でんふじわらゆきなりひつかなしょうそく)』もその一つ。のびのびと気持ちのいい筆跡の仮名を散らし書きした11世紀後半の名品。
ご覧になられた方、裏の文字に気づかれたでしょうか。表の仮名の美しさに見とれて、気づかれなかった方が多いかもしれません。実は、この作品の裏には『三宝感応要略録(さんぽうかんのうようりゃくろく)』という仏教説話集が書かれています。「何で国宝の裏に?」。当然の疑問です。当時は紙の貴重な時代。どうやら要らなくなった手紙を集め、裏(白紙)に『三宝感応要略録』を書いたようです。つまり、表が『三宝感応要略録』、裏は『仮名消息』。この時(11世紀後半、遅くとも12世紀前半)、『仮名消息』の価値は認められておらず、扱いはリサイクルペーパー。しかも『三宝感応要略録』は袋綴じ装。『仮名消息』は折った紙の内側となり、今の袋綴じの中のように、外からは見えなくなりました。
こうして表舞台から消えた『仮名消息』。再び脚光を浴びるのは江戸時代後期の嘉永(かえい)4年(1851)のこと。復古大和絵の絵師として有名な冷泉為恭(れいぜいためちか)。その王朝趣味は、絵だけでなく書にも及び、お寺から『三宝感応要略録』を譲り受けると、冊子をバラし、裏の『仮名消息』を表にして紙に貼り付け、二巻の巻物としました。この内の一巻が国宝展でご覧いただいた『仮名消息』です。
つまり本作品は、
表:仮名消息 裏:白紙
↓
表:三宝感応要略録 裏:仮名消息
↓
表:仮名消息 裏:三宝感応要略録
と、その時代の所蔵者によって表裏を代えつつ、いずれも大切にされ今に伝わりました。手紙として想いを届けた『仮名消息』、仏・法・僧のありがたい霊験を説く『三宝感応要略録』、平安時代の仮名の美しさを伝える『仮名消息』。それぞれ内容、意義は異なりますが、それらが表裏をなす過程も含めて、実に魅力的な名品です。
「裏表 なきは君子の 扇かな」とは言うものの、思いがけない一面にハッとさせられ、またそこに魅力を感じてしまうのは人も書跡もいっしょ。しかし、表話より裏話により興味を示してしまう自分はつくづく小人だなぁ、と冷麺をすすりながら、ゆるゆると思いをめぐらすお昼でした。
[No.199 京都国立博物館だより7・8・9月号(2018年7月1日発行)より]