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No.104

月世界絵巻

京都国立博物館上席研究員

宮川 禎一

 秋の夜長と言えば名月だ。子供の頃を思い出せば、満月を見ながら「月で兎が餅を搗いている」などとは思わず、アポロ11号が着陸したのは「静かの海」だなどと思う科学の子だった。月に兎が居るなどというアジアの古いおとぎ話を掘り下げる意味が現在あるのか?という課題をふくみつつ「月と兎」について考えてみよう。

 日本最古の月兎図は飛鳥時代の『天寿国繍帳』(中宮寺蔵)のそれであろうが、もとをたどれば中国の古い伝説だ。月の兎は西王母の命令で「不老不死の仙薬」を臼と杵で搗いている(仙兎搗薬)。また月に蟾蜍(ヒキガエル)もいる。これは嫦娥という美女が、夫が西王母から貰い受けた仙薬を盗み飲んで月に昇り、蟾蜍の姿に変わったのだと。さらには何度伐ってもまた生える巨大な桂の木(月桂)もある。古く後漢代の墳墓の画像石には円面に兎と蟾蜍が刻まれる【図1】。ただし中国古代の図像史的には月の先住者はヒキガエルでありウサギは新参者のようだ。

林巳奈夫『漢代の神神』

【図1】 林巳奈夫『漢代の神神』1989年。付図27。中国江蘇省銅山小李村苗山漢墓の画像石拓本を林巳奈夫がトレースしたもの。後漢時代、1~2世紀。画像石の高105㎝。月のほかは神農・鳳凰・麒麟。

 【写真1】は仙兎搗薬図をもつ唐代の銅鏡の一部だ。円い月の中に薬を搗く兎、月桂、うずくまる蟾蜍(蛙)が表現されている。この銅鏡を見ながらこんな図像が日本にもあることに思い至る。それは京都の高山寺に伝わる国宝『鳥獣人物戯画』甲巻である。漫画の御先祖かとされる超有名な絵巻物だ。

月兎双鵲八花鏡(部分)

【写真1】 月兎双鵲八花鏡(部分)京都国立博物館 唐時代後半8~9世紀。銅鏡の径21.6㎝。この月の直径は5.0㎝。

 この鳥獣戯画甲巻は「月の世界のお話」を描いたファンタジーではないかと思う。戯画というから分かり難いが、蛙と兎が相撲をとっている段階で月面の話なのだ。「中国の月の伝説の影響が認められる」のではなく、そもそも甲巻全体が月の風景を描いたものではないか。

 現代人はアポロのせいで月が真空で無生物なのを知っている。しかし天体望遠鏡もない平安時代、12世紀の人ならば、月に兎と蛙が居るのだから、川もあるだろうし植物も生え、他の動物も居ると思うだろう。蛙と兎の弓矢競争の場面で狐が尻尾から狐火を出して的を照明しているのはここが夜の世界だからだ。大きなフクロウも夜の象徴だ。樹木は落葉後であり、全体にちりばめられた秋草は晩秋の風情だ。秋草と月はセット関係にある。画面全体の寂寥感は薄暗さを感じさせる。

 兎と蛙だけでなく、狐と猿も主役で描かれている理由は玄奘三蔵の『大唐西域記』巻七の「兎王本生譚」、すなわち兎が月に居る理由を示す印度の悲しい仏教説話にあるだろう。劫初(この世のはじめ頃)、狐・猿・兎は元々仲良しであり、林野で楽しく過ごしていた。『大唐西域記』の原文は「涉豊草、遊茂林、異類同歓、既安且楽」である。異類の動物たちが無邪気に遊ぶこの原始ユートピアの情景こそが絵巻のベースではないだろうか(平安時代末の不穏な世情の裏返し)。

 中国と印度に伝わった二系統の「月兔の物語」を平安時代の日本で合体させたのが鳥獣戯画甲巻だ。作者(天才だ)は絵巻全体を月だと意識して描き、見せられた平安時代の人たちも「ああ、これは月の世界のお話ですな。月では皆仲良しでよろしいなあ」と言ったはずだ。

 甲巻の正しい名称は『月世界絵巻』だ(あるいは『異類同歓絵巻』かも)。最古のSF漫画といいたい。

[No.204 京都国立博物館だより10・11・12月号(2019年10月1日発行)より]

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