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No.103
斉白石(せいはくせき)の旧居を訪ねて
京都国立博物館主任研究員
呉 孟晋
展覧会で海外から美術作品を借りて来たり貸し出したりするときに、作品に付き添って移動する学芸員のことを「クーリエ(courrier)」といいます。作品を載せた飛行機に同乗するのはもちろん、相手国での通関や開梱・点検・展示に立ち会います。仏語の原義である「飛脚」よろしく大切なお品を先方に手渡しするわけですから、なかなか気を抜くことができませんが、行程の変更で急に自由な時間がもてるときもあります。そんなクーリエの楽しみを実感できたのは、今年3月末に特別企画「中国近代絵画の巨匠 斉白石」展の作品返却で訪れた北京でした。
今回全面協力をいただいた北京画院での返却作業は無事に終わり、帰国までのほぼ一日、自由な時間ができました。そこで同画院が管理・公開している、斉白石(1864~1957)が晩年を過ごした旧居を訪ねてみることにしたのです。
故宮の北にあたる地安門(南にあるのは、かの有名な天安門です)からさらに北に歩き、運河を越えて少し東に歩いたら目的地の「雨児胡同(うじこどう)」に着きました。「胡同(フートン)」とは北京特有の街並みのことで、4つの平屋が口の字型に配された「四合院(しごういん)」という伝統家屋が狭い路地を挟んで立ち並んでいます。
ちょうど、北京に春の到来を告げるハクモクレンが中庭に咲く美しい季節でした。白石の居所は正面の平屋にあり、見渡したところ三部屋しかありません。中央が応接間で、明代家具風の椅子と机そして白石の書画が掛けられています。向かって左側の部屋は画室で大きな机が一つ、右側は天蓋つきのベッドと箪笥があるのみで、とても質素な空間でした。
ようやく巨匠の生活の一端を垣間見ることができたのはうれしかったのですが、他方で柱や梁が朱で塗り直された「きれい」な旧居に、少し違和感を覚えたのもたしかです。
実は、ここは北京市内でも有数の観光地となった「南鑼鼓巷(なんらここう)」の一角です。古くからの胡同の四合院は再開発によってショップやホテル、バーになり、旧市街地再生のモデルになった地区です。どこか映画のセットのような街並みを歩いて考えさせられるのは、保存か、開発か、それとも活用か。最近封切られたコメディー映画で、自宅の四合院を流行のアパレルブランドに買収された老人が従業員となって奮闘する「壊老頭(The Bad Employee)」(范宇監督、陳天陸主演、2018年)もこれを地でいくようなストーリーでした。
もっとも、古びたものに「わびさび」を求めるのは日本独自なのかもしれません。中国や台湾など中華圏の廟宇がいつもきれいなのは絶えず修復を重ねているからです。最近、京都では永観堂禅林寺の阿弥陀堂が極楽浄土を表わす極彩色で修復され、奈良でも興福寺や薬師寺が伽藍の再建や復元につとめています。
歴史的建造物にいかに活用してゆくのか。免震工事を予定する京博の明治古都館をはじめ建造物や風致地区の整備を考えるうえで、北京の事例も参考になるのではないか。ふだんのあわただしい北京出張では実現できなかった、ふとした散策がてらに思いました。
[No.203 京都国立博物館だより7・8・9月号(2019年7月1日発行)より]