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No.125
極楽浄土と蝶
京都国立博物館 主任研究員
山内 麻衣子
まだ小学生だったある春の日、ワンピースの小花柄にモンキチョウがとまった。それ以来ずっと蝶が気になっている。深い光沢を帯びた天鵞絨(ビロード)のような翅は「森の宝石」の称号にふさわしく、幼虫から蛹となり、羽化して飛び立つ変態過程も神秘的だ。ふわりと飛翔する姿を追っていると、ふと時空のあわいに迷い込んだかの心地がする。
先ごろ訪れた韓国中央博物館では、特集展示「朝鮮絵画の中の花と蝶」を担当した研究員さんと日韓の蝶について話す機会があった。現地ではインフルエンサーの間で「ナビ(韓国語で蝶の意)アイテム」が流行中らしい。人気の韓流ドラマでも蝶は物語のキーモチーフとして登場するようだ。そして朝鮮絵画の蝶は夫婦和合や富貴栄華の象徴、あるいは長生の祈念として描かれるとのこと。中国の吉祥図案の蝶と解釈は概ね共通している。とはいえ、中国の蝶といえば、やはり『荘子(そうじ)』斉物論(せいぶつろん)篇「胡蝶の夢」であろう。かつて荘周が夢で胡蝶となったという一節。夢と覚、己と他、生と死といった相対や区別を越えた「万物斉同」の境地と、「物化」つまりある物が他の物になる生成変化に「道」を説く。どうやらこの「夢幻の世界に遊ぶ蝶」「人間の化身としての蝶」のイメージは洋の東西を問わないらしく、古代ギリシア語の「プシュケ」は息、魂、心の意であると共に蝶をも意味し、ギリシア神話に登場するエロス(クピードー)の美しい妻「プシュケ」は、背に翅を持って表される。日本もその例に漏れず、蝶や蛹を霊魂の顕れとみる民間信仰が、古くより全国に存在していた。
ところでそのような普遍的無意識的な蝶観とは別に、平安から鎌倉時代の一時期、蝶は鳥と組み合わされた「蝶鳥文様」として盛行し、とりわけ天皇や貴族の周辺において特別な記号として機能していたことをご存じであろうか。かつてこの文様は、『源氏物語』胡蝶巻に描かれた舞楽(ぶがく)の「胡蝶」と「迦陵頻(かりょうびん)」の番舞に由来するとされ、その典拠は極楽浄土にあると指摘されていた。ところが大蔵経を通覧したところ、確かに「迦陵頻(迦陵頻伽・かりょうびんが)」は『阿弥陀経』に「極楽国土の霊鳥」と記されるが、「胡蝶(蝶)」は『大乗理趣六波羅蜜多経(だいじょうりしゅろくはらみたきょう)』等に「畜生道にある虫類」として分類されるに過ぎず、経典にその典拠は見いだせない。もっとも日本人の往生観を形成せしめた『往生要集』(九八五)をみると、蝶は虫類に含まれてはおらず、幾分好意的な視線も感じられるのだが、いったい何ゆえ蝶は極楽浄土を荘厳る存在に成り得たのだろうか。
答えは『源氏物語』胡蝶巻の仙境表現にあった。舞台となる光源氏の六条院は「生ける仏の御国」つまり極楽浄土であり、「世になき」「唐めいたる」「知らぬ国」といった非日常的、異国的な空間として、憧れの先進国である中国・唐のイメージが重ね合わされた。そしてその世界は、王質爛柯(おうしつらんか)・劉阮天台(りゅうげんてんだい)・桃源郷の三つの仙境故事を引用しつつ、華やかな漢籍の修辞で讃えられた。『白氏文集』「牡丹芳」の「戯蝶双舞看人久 残鶯一声春日長(ぎちょうそうぶしてみるひとひさしく ざんおういっせいしてしゅんじつながし)」をはじめ、隋・唐代の漢詩には、蝶と鳥とが対句として盛んに詠み込まれている。胡蝶巻の蝶鳥の組合せは、その影響によるものだろう。ここに「極楽浄土+仙境+唐」の三要素が織り成す理想郷が創出され、「極楽浄土に蝶」のイメージが誕生したのである。この蝶鳥の組合せは極楽浄土を荘厳するだけでなく、天皇の聖域や神の神域などの結界を示す「境界の装置」として機能していた点も興味深い。
舞楽の蝶鳥の舞手らは、法会において衆生を仏の浄土へと繋ぐ伝供の役割を担う。日本においては蝶も仏の世界へと導いてくれるはずなのである。
[No.225 京都国立博物館だより1・2・3月号(2025年1月1日発行)より]