金工
紺糸威胴丸(こんいとおどしどうまる)兜・大袖付(かぶと・おおそでつき)
基本情報
- 胴高33.9 草摺長28.8
- 兜鉢高10.8 大袖長36.4
- 室町時代(16世紀)
- 京都 建勲神社
- 重要文化財
胴丸は、鎌倉時代以前には徒歩の士卒が着用した軽快な武装具で、胴回りがひと続きで右脇に引き合わせを設け着用が簡便であること、草摺(くさずり)が五間以上に分割されて足腰が動かしやすいことなどが大鎧(おおよろい)と異なっていた。しかし、やがて武将もこれを着用するようになり、大袖や兜が伴うようになった。
この胴丸は、鉄1枚と革2枚の黒漆塗り小札(こざね)を交互に重ね合わせており、小札をつなぐ威毛(おどしげ)は、紺糸を隙間なく威す毛引威(けびきおどし)という手法をとる。兜(かぶと)は、鉄地板を矧(は)ぎ合せて黒漆を塗った四十間筋兜(すじかぶと)で、眉庇(まびさし)には鍍金魚子地枝菊文彫(ときんななこじえだきくもんぼ)りの鍬形(くわがた)が付き、鍍金の鍬形と黒漆塗の桔梗か輪(ききょうかりん)文金箔押し前立物を付ける。
古制をよく伝える胴丸ではあるが、草摺が十二間に分かれ、兜のしころが小形である点などに、室町時代末期の特色が表れている。織田信長の所用と伝え、柏原藩に伝来した胴丸である。