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指頭画―指で描かれた絵―(しとうが -ゆびでえがかれたえ-)
美術室 西上
1999年01月09日
●高其佩(こうきはい)筆
指頭山水画冊(しとうさんすいがさつ)
清擁正(しんようせい)2年(1724)作
この絵は、中国の高其佩(1660~1734)という人が、およそ270年あまり前に描いたものですが、筆つきが何となくほかの絵と違っているように思われませんか。細めの線にはペン書きのような鋭(するど)さがあり、丸い点を打ったところをよく見ますと、指紋(しもん)がついています。
実はこの絵は、筆のかわりに、指先や爪を使って描かれているのです。中国や日本で指頭画(しとうが)(指頭はゆびさきを意味します)とよばれる特殊な描き方です。
手や指に墨(すみ)や絵具(えのぐ)をつけて描くことは、中国では古くからありました。特に、水墨画(すいぼくが)の発生期である唐(とう)時代には、伝統的な画法の枠(わく)を打ち破ろうとして、画家たちが筆のかわりに身体のさまざまな部分を用いて描きました。例えば、8世紀後半の人、張<☆王+(操-てへん)☆>(ちょうそう)は手で画絹(えぎぬ)をこすって描き、やや遅れる王黙(おうもく)は、頭髪を墨汁(ぼくじゅう)にひたして筆代わりにして描いたといわれています。
しかし、水墨画が技法的に完成する宋(そう)時代以降は、やはり筆で描くのが正統的な画法と考えられて、身体の一部を直接使って描くような技法は、もうそれほど注目されることもなくなってしまいます。
ところが、清(しん)時代に入って指頭画の名手(めいしゅ)、高其佩が現われ、山水(さんすい)・人物(じんぶつ)・花鳥(かちょう)・畜獣(ちくじゅう)といったさまざまな画題を、画面の大小にかかわらず、まるで筆を扱うように指先や爪で自由自在(じゆうじざい)に描き上げていきますと、これを見た人々は驚嘆(きょうたん)し、争ってその絵を求めるようになります。
高其佩が指頭画にどれほどたくみであったかは、水辺の人物を主題に取り上げて、12図に描き分けたこの画冊をご覧になれば充分に納得していただけるでしょう。唐の詩人、柳宗元(りゅうそうげん)の「漁翁(ぎょおう)」の詩の心を盛り込みながら、宋の米<☆くさかんむり+市☆>(べいふつ)や馬遠(ばえん)の筆法を指頭画におきかえ、日暮れの水面の輝きや、水上を軽快(けいかい)に走る船の勢(いきお)い、
横になって山中の景色を楽しむ人物のゆったりとしたしぐさなどが、実に見事に描き出されています。
彼の指頭画の技法については、その兄弟の孫にあたる高秉(こうへい)が著(あら)わした『指頭画説(しとうがせつ)』が参考になります。これによれば、高其佩が指頭画を描く時は、通常、親指、薬指、小指を使い、指の腹を墨にひたして運用したといいます。冊子(さっし)や巻き物などの小品の場合は薬指と小指を相互に使用し、大幅(たいふく)の場合は、この両指を同時に用い、雲や水の流れを描く際には、三指同時に併用しました。大小三指によって太細濃淡(たいさいのうたん)さまざまな墨線(ぼくせん)を作り出します。大小の墨点(ぼくてん)を打つ時も同様です。細く力強い線を引く時には、爪の内側に墨を含(ふく)ませれば、まれでペン(洋筆)のように爪の先端から墨汁を流れ出させて、髪のように細く、針のように鋭い線をもやすやすと描き出せます。ただこのため、爪は線を引きやすい長さに保っておく必要があります。
高其佩の一族は、遼寧省(りょうねいしょう)の鉄嶺(てつれい)出身の、漢民族(かんみんぞく)ではありますが、満州人(まんしゅうじん)が清朝をうち建て中国を支配する以前からこれに従属(じゅうぞく)していた士族(しぞく)、漢軍旗人(かんぐんきじん)の家柄(いえがら)です。このため朝廷(ちょうてい)からは優遇(ゆうぐう)され、高其佩自身も役人として高い地位にのぼります。早くから絵を好んで描いていた彼は、宮廷に収められた古い名画を鑑賞する機会にも恵まれ、これらにならって筆で描いた細緻(さいち)な大作を残しています。しかし、その限界を悟ったのか、後年は、もっぱら庶民的な画題を指で描いて、指頭画の天才の名をほしいままにするのです。
彼以後、指頭画を試みる画家たちは続々と出てきます。また日本の南画家(なんがか)にも影響をあたえ、池大雅(いけのたいが)が宇治(うじ)の萬福寺(まんぷくじ)の襖(ふすま)に描いた「五百羅漢図(ごひゃくらかんず)」のような傑作(けっさく)が誕生(たんじょう)しています。