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孔雀明王像(くじゃくみょうおうぞう)
美術室 泉
1993年06月12日
仏教のうちでも神秘性を重んじる密教(みっきょう)という宗派で信仰されたホトケさまの絵には、ふだん見慣れない不思議な絵があります。鳥の上にすわっていたり、ライオンの冠をかぶっていたり、火炎を背負っていたり。手の数も二本ではなく、何本もあったりします。なかでも「明王(みょうおう)」という怒りの表情をとるホトケの一群は、密教特有のものでした。
仏教の教えをなかなか聞き分けないものたちを、なんとか正しい道に導こうとするために、わざとこわい顔をしてみせているのです。
こうしたホトケたちの姿も、もとをたどれば、遠くインドからやって来た形でした。密教はインドで発生し、中国に渡ったあと、すぐ日本に伝えられた教えだったのです。まとまった形で日本に密教をもたらしたのは、有名な弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)でした。
さて、今回は「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」について勉強したいと思います。
孔雀の背中にすわっている姿のホトケがそれです。こわい姿の明王たちの中で、この孔雀明王だけが、やさしい顔をしています。じゃあ、どうして孔雀に乗っているのでしょう。わけを知るには、インドまでさかのぼらないといけません。
コブラをはじめとするインドの毒蛇は、人間に害を与えるので、たいそうこわがられます。昔も今もそれは変わりません。蛇使いのように、笛を吹いて蛇を飼い慣らす方法もありますが、毒蛇をやっつけてくれる動物にお祈りする方法もありました。孔雀がそうです。聞いた話では、孔雀は蛇に向かい合ったとき、わざと弱ったふりをして自分の体に巻つかせ、蛇が襲いかかろうとする瞬間、いっきにつばさを広げて撃退するのだそうです。蛇には気の毒な話です。しかし、優雅な姿の孔雀がおそろしい毒蛇を退治してくれるイメージは、美女が野獣をこらしめるような、晴れやかな印象があります。こうした孔雀の力はやがて神様のように扱われ、鳥ではなくホトケの姿に結晶していきました。それが孔雀明王なのです。
絵を見てみましょう。
孔雀は翼を広げた形で、正面から描かれています。その顔はちょっとユーモラスでさえあります。明王のうしろにも、魚のうろこのように金色の羽根が見えますが、これは孔雀が尾羽根を開いたようすをあらわしています。背中にすわった明王は、4本の腕をもっています。どうして4本もあるかといいますと、腕が多いほうが、神秘的な力があると思われたのです。
腕の持ち物は、蓮華と孔雀の尾羽根、それにレモンやザクロのような果実(グエン果(か)と吉祥菓(きちじょうか))です。これらの持ち物は、それぞれに神秘的な意味がありました。右手の蓮華はホトケの慈悲をあらわします。二番目の右手のまるいグエン果は、これを食べると元気がでるという、ありがたい果物です。左手の吉祥菓は鬼を撃退する霊力を持つめでたい果実です。二番目の左手の孔雀の尾は、災難をはらう力がありました。これらの持ち物は、孔雀明王の不思議な働きをしめしているのです。
密教のホトケたちの画像には、あざやかな色彩が見られます。おごそかに飾りたてることによって、ホトケさまに対する尊敬の気持ちと、そのホトケさまが大きな神秘的能力を持っていることをあらわそうとしたのでした。孔雀明王の絵では、着ている服に、豪華な材料が使われています。服のひだの線には金の絵具(金泥)、服の文様には銀の絵具(銀泥)を用いています。いまでこそ、黒っぽく見えますが、描かれた当初は、金銀がきらきらと輝くような画像だったのです。
この絵は、鎌倉(かまくら)時代の昔に作られたものです。密教ではこの絵をかけて、いろいろなことをお祈りしました。天然の災害をストップするときや、雨を降らせたいとき、お米をはじめ穀物が豊作になるように願うとき、お産がぶじに済むように願うときなど、なんでも祈っていました。近年、火山や地震で困っていますが、昔ならば、きっとこの孔雀明王をかけてお祈りしていたところです。
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