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正門(重要文化財)(せいもん)(じゅようぶんかざい)
美術室 中村
2000年02月12日
※「正門」は「表門(西門)」に表記を改めました。現在、入退館にご利用いただけません。
正門は、空を背景に見ると輝いて美しい。大仏殿(だいぶつでん)石垣も視野に入れる、反対に煉瓦柱(れんがはしら)と飾(かざ)り柵(さく)の塀(へい)をたどって三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の大屋根まで見通す、正面奥の本館(ほんかん)や後の山の装(よそお)いをも合わせて見る、それぞれに違う空の景色、季節と天気、時間の表情を映(うつ)します。
この正門は、本館や正門から続く柵塀とともに、1892年(明治25)から95年に建築されました。正門の前、鴨川(かもがわ)の向こうに拡がる京都(きょうと)の町は幕末(ばくまつ)の大火(たいか)と東京遷都(とうきょうせんと)による荒廃(こうはい)をのりこえ、ようやく産業復興(さんぎょうふっこう)のきざしが見えてきた頃、近代国家建設をめざす政府が設置を決めた帝国京都博物館(ていこくきょうとはくぶつかん)は、京都の寺院が伝えてきた美術を公開して国民文化の形成を図(はか)ろうとするものでした。帝国博物館美術部長であった岡倉天心(おかくらてんしん)が美術の鑑賞に主眼をおいた本館の計画を立て、宮内省(くないしょう)技師の片山東熊(かたやまとうくま)が設計しました。
片山東熊は、外国人教師コンドルに育てられた日本人建築家の中では異色(いしょく)の存在です。東京駅を設計する辰野金吾(たつのきんご)ら産業建築の分野で活躍する同期生とは違い、美術家の途(みち)を歩みました。有栖川宮邸(ありすがわのみやてい)の建築にコンドルの助手として携(たずさ)わり、文化的な感覚と関わる室内装飾を担当、調度(ちょうど)の調達を兼(か)ねてロシア皇太子戴冠式(こうたいしたいかんしき)に出席する有栖川宮に随行(ずいこう)し、また憲法発布式(けんぽうはっぷしき)の会場となる皇居宮殿(こうきょきゅうでん)の調度を製作するためドイツに滞在し、この間、美術博物館調査にウィーンを訪れた岡倉天心に同行もしています。つねに建築を文化との生きた関係の中で見ること、それが文化に根ざした建築を創造(そうぞう)する力となっているのでしょう。
本館と正門の四年間にわたる建築工事に使用された当館所蔵の図面六百数十枚から、片山東熊のユニークな仕事ぶりがうかがえます。片山が描いているのは全てエスキースと呼ばれるスケッチ風の完成想像図ですが、どれも細い鉛筆で、設計図と同様の正確な縮尺(しゅくしゃく)によって精細(せいさい)に描き、時に材質感(ざいしつかん)や表面の形状を光で表現する淡彩画(たんさいが)に仕上げています。
片山は、このエスキースから実際の建築を実物大にイメージできる特殊な才能を持っていたにちがいありません。エスキースは着工前に描かれた全くニュートラルな本館立面図に始まります。これをもとに、東山の二つの峯をはじめとする自然、歴史建造物と絶妙(ぜつみょう)なアンサンブルを構成する位置が決定されました。ついで、花崗岩(かこうがん)の基部(きぶ)、煉瓦(れんが)と沢田石(さわだいし)の壁、銅葺(どうぶき)の屋根、鉄の棟飾(むねかざ)りと、下から上へ、つまり地面から空に向かい材料の選択(せんたく)、デザイン、構造設計がされ、施工(せこう)が進められます。それを見ながら、片山は悠然(ゆうぜん)と周囲(しゅうい)の木々や古建築、山、空を眺め、その歴史を経た景観と新しい建築との呼応(こおう)や響(ひび)きあいを大切にして、ひとつ先の新しいエスキースを描いていたことでしょう。こうして既(すで)に現実化(げんじつか)したイメージに新しいイメージが重ねられ、構成要素のバランスが調整(ちょうせい)され、抑揚(よくよう)、リズム、陰影(いんえい)の表現が生まれます。このように展開するエスキースが施工図に起こされ、エスキースと施工が追いかけあって建築を進めて行きました。
本館が全貌(ぜんぼう)を現わすに従って、片山は本館から前庭正面に展開するパノラマの中で正門のデザインを考え始めたようです。四棟で構成される全体の施工図が一度出来上がった後も、正面の町並みから西山・北山を見渡す前庭で再び屋根のデザインに取り組んだ結果が軽く膨(ふく)らむような現在の丸屋根です。西山の稜線(りょうせん)にも見える相似形(そうじけい)に丸屋根の形が呼応して空間を深く感じさせます。それには、中世、洛外(らくがい)に居住(きょじゅう)した人々が愛した水墨山水(すいぼくさんすい)や障壁画(しょうへきが)、庭園などの空間に共通するものがあります。そして最後に挿図(そうず)のエスキースが各要素を統一した正面観を構成するために描かれました。視覚的な重さのバランスを調整しようと、和紙(わし)に伝統的な淡彩の技法を用いて質感の微妙(びみょう)な違いまで表現しているのがわかるでしょうか。そこには平安(へいあん)時代以来の美術の技術と感覚が生き続けています。
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