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埴輪 男子像 ―人物埴輪(はにわ)はなぜつくられたの―
考古室 古谷 毅
2018年07月20日
1.埴輪(はにわ)が樹(た)てられた時代
弥生(やよい)時代の後、およそ紀元300~700年頃(ごろ)までを古墳(こふん)時代と呼(よ)んでいます。この時代は日本でもっとも巨大(きょだい)な墓が造られた時代でした。大阪府(おおさかふ)の大仙陵(だいせんりょう)(伝仁徳天皇陵(でんにんとくてんのうりょう))古墳(こふん)は全長約500mもある最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、世界でも最大の墓の一つです。なぜこのような大きな墓が築かれたのでしょうか。
弥生(やよい)時代はムラの時代でした。稲作(いなさく)をはじめとした農業を基礎(きそ)にしたムラが営まれ、リーダーや一般(いっぱん)の農民などはそれぞれの立場にしたがって住み、住居や建物・柵(さく)などの風景は人々の立場やつながりを表しています。リーダーを葬(ほうむ)った墓も地方によってさまざまな形をしていました。
ところが、古墳(こふん)時代は前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)を中心とした古墳(こふん)が東北から九州地方まで造られ、このような社会の仕組みが墓造りに表れた時代です。リーダーはムラの外に溝(みぞ)などで囲まれた居宅(きょたく)を定め、人々をまとめてゆきました。そして、古墳(こふん)は各地域(ちいき)で豪族(ごうぞく)と呼(よ)ばれるようになったリーダーと地域(ちいき)の人々が互(たが)いに立場を確認(かくにん)するための儀式(ぎしき)を行う場所でもあったのです。
2.埴輪(はにわ)の役割(やくわり)
埴輪(はにわ)(図1)は古墳(こふん)が現れた時から樹(た)てられた墳丘(ふんきゅう)を飾(かざ)る焼き物です。古墳(こふん)造りの風習の拡大(かくだい)とともに、岩手県から鹿児島(かごしま)県まで拡(ひろ)がりました。最初は弥生土器形(やよいどきがた)の埴輪(はにわ)でしたが、やがて建物やさまざまな武器、儀式(ぎしき)に使う道具の形の埴輪(はにわ)が現れ、各種の儀式(ぎしき)を象徴(しょうちょう)的に表していたと考えられます。
そして5世紀末頃(すえごろ)になると、新たに動物・人物形の埴輪(はにわ)が登場し、葬送(そうそう)の儀式(ぎしき)に関わるさまざまな場面を具体的に表すようになったと考えられています。
人物埴輪(はにわ)は大きく男女像に分かれますが、全身像と下半身を省略した半身像があります。全身像は主に主役、半身像は脇役(わきやく)として表現されたようです。このように、埴輪(はにわ)は古墳(こふん)造りと共に行われていた当時の儀式(ぎしき)の様子を知るために大変貴重なものです。
3.古墳(こふん)時代の人々
次に、古墳(こふん)時代の人々の服装(ふくそう)を見てみましょう(図2)。当時の服装(ふくそう)は上着と、男子がズボン、女子はスカートが基本です。弥生(やよい)時代の貫頭衣(かんとうい)と呼(よ)ばれるワンピースに比べ、現在と同じツーピースであることが判(わか)ります。このような服装(ふくそう)は、中国西方(中央アジア)の胡族(こぞく)と呼(よ)ばれる遊牧騎馬(ゆうぼくきば)民族の服装(ふくそう)(胡服(こふく)と呼びます)が中国・朝鮮半島を経て伝えられたと考えられています
一方、頭や首、胸(むね)・腕(うで)や腰(こし)にはさまざまな冠(かんむり)・帽子(ぼうし)や装身具(そうしんぐ)をはじめとして、武器や仕事の道具などさまざまな持ち物を身に着けて表現されています。髪(かみ)の毛は男女いずれも長髪(ちょうはつ)で、男子が美豆良(みずら)と呼(よ)ばれる顔の左右で振(ふ)り分ける髪型(かみがた)、女子が頭の上で前後に分けて束ねた髪型(かみがた)をしています。
これらの特徴(とくちょう)から、人物埴輪(はにわ)には立派(りっぱ)な服装(ふくそう)の男女のほか、武人・文人や巫女(みこ)・狩人(かりゅうど)・楽人(がくじん)・力士・農民などなど、さまざまな職業の区別があり、身に着けている服装(ふくそう)や持ち物などで、当時の社会における役割(やくわり)の違いが表現されていたと考えられます。もちろん、さまざまな儀式(ぎしき)においても役割(やくわり)の分担(ぶんたん)があったことでしょう。
4.埴輪(はにわ) 男子の役割(やくわり)
さて、この埴輪(はにわ)(図1)は頭には菅笠風(すげがさふう)の帽子(ぼうし)を被(かぶ)り、髪(かみ)は耳のあたりで束ねた上げ美豆良(みずら)と呼(よ)ばれる髪型(かみがた)です。首には玉を連ねた首飾(くびかざ)りを着け、腰(こし)には大刀(たち)を佩(は)いています。左手は帯を締(し)めた腰(こし)に当て、右手で鍬(すき)を担いでいます。鍬(すき)は農工具で、農業や土木作業に使用した代表的な道具です。この埴輪(はにわ)は半身像なので下半身は省略されていますが、ズボンを穿(は)いていたと考えられます。大刀(たち)は一般(いっぱん)の農民が身に着けていたとは考えられませんが、上げ美豆良(みずら)は身分があまり高くない普通(ふつう)の男子を表しているとみられます。
このように、この人物は上げ美豆良(みずら)で農工具を手にしていることと、被(かぶ)り物・首飾(くびかざ)りや大刀(たち)を佩(は)いている特徴(とくちょう)から、農工具で作業をする人々をまとめる仕事をしていた人物であるかもしれませんね。
もう一度しっかり観察して、農民や大刀(たち)を佩(は)いた人々の役割(やくわり)を考えてみてください。