教育室 安部真里奈
2019年07月02日
みなさんは、赤色を見たとき、どんなイメージを持ちますか?
派手(はで)、情熱的(じょうねつてき)、危険(きけん)・・・人によって感じ方はさまざまだと思います。では、むかしの人はどうだったのでしょうか。どうやら、赤色に特別なパワーを感じていたようです。
古墳(こふん)から見つかる赤色
日本では、3世紀半ばごろから7世紀ごろにかけて、古墳という土を高く盛った巨大(きょだい)なお墓(はか)がつくられました。古墳は、地域(ちいき)を支配(しはい)したリーダーや、権力(けんりょく)を持った人のためのお墓で、それを築(きず)くのは、たくさんの時間やお金、人を使った一大プロジェクトだったのです。
その古墳からは、赤でかざったものがよく見つかります。たとえば、亡(な)くなった人の眠(ねむ)るひつぎの内側が真っ赤に塗(ぬ)られていることがあります。また、古墳の上には、はにわという円柱や人や動物のすがたのやきものが並(なら)べられましたが、人型のはにわには、図1のようにおでこや頬(ほお)のところにお化粧(けしょう)のような赤い線がついている例が見られます。
では、古墳で見つかる赤色には、いったいどのような意味があったのでしょうか。じつは、はっきりとした答えはわかっていません。ひとつには、外から入ってくる悪霊(あくりょう)を追いはらう役割(やくわり)があったといわれています。また、亡くなった人の生き返りを願ったのだろうと考える人もいます。きっと、人間にはどうすることもできない願いを赤色にこめたのでしょう。
朱漆塗(しゅうるしぬり)のうつわ
朱漆とは、うるしという木から採(と)れる液体(えきたい)に、赤い材料をまぜたものです。これを器の表面に塗ることで、つやのある美しい赤色の器ができあがります。なんと、今から約6000年前にはこのような朱漆塗の器がつくられていたようです。
神社やお寺では、さまざまな大きさや形をした朱漆塗の器が使われていました。図2の器は高杯(たかつき)といって、ひとり用の食事をのせる足付きのお膳(ぜん)です。もともと奈良(なら)県の大神神社(おおみわじんじゃ)に伝わったもので、14世紀ごろにつくられました。神さまにお供(そな)えものをするための道具だったのでしょう。
朱漆を塗った高杯は、神社やお寺だけではなく、宮中や貴族(きぞく)のお屋敷(やしき)でも使われていました。実際(じっさい)に古代の貴族が使ったとされる品は伝わっていませんが、12世紀につくられた絵巻物では、貴族が宴会をしている場面で、ごちそうが朱漆を塗った高杯の上にのっているところが描(えが)かれています。人間用とはいえ、朱漆が塗られた器は特別なときに使われたのですね。
その朱漆にまぜる材料のひとつに朱があります。朱は、辰砂(しんしゃ)という石を細かく砕(くだ)いたり、人工的に水銀と硫黄(いおう)を混ぜたりしてつくります。朱は手に入れるのがむずかしく、とても貴重(きちょう)な材料でした。そのため、朱漆を塗った器は神さまや高貴(こうき)な人のものとされたのです。
展示室にはほかにも、全身が真っ赤に塗られた仏さまの絵や、お芝居(しばい)で鬼(おに)や精霊(せいれい)の役がつける赤いお面があります。赤を塗ることで、人間をこえた特別なものを表現(ひょうげん)しようとしたのかもしれません。いまの時代まで伝えられた作品をじっくりと見て、そんなむかしの人々の感覚に少しだけ近づいてみてください。きっと、赤色のイメージが深まるのではないでしょうか。
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