- TOP
- 学ぶ・楽しむ
- おうちで学ぶ・楽しむ
- 博物館ディクショナリー
- 考古/歴史
- 三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)の謎(なぞ)
三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)の謎(なぞ)
考古室 宮川禎一
2021年02月02日
日本の考古学研究の「謎」のひとつが、3~4世紀の古墳から出土する「三角縁神獣鏡」という銅鏡です。「邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)に関わる鏡だ」とか「いやそうではない」などの議論がほぼ100年にもわたって行われてきました。そして、今なお多くの矛盾する解釈があります。ここでは「三角縁神獣鏡をめぐる議論」を整理してみましょう。
まずはこの鏡をよく観察してみましょう。図1は愛知県犬山市(いぬやまし)の東之宮古墳(ひがしのみやこふん)から発見された「三角縁三神二獣鏡(さんかくぶちさんしんにじゅうきょう)」(重要文化財)です。青銅鋳造製(せいどうちゅうぞうせい)。銅質も上等で、あまり錆びていません。用語がちょっと難しいのですが、その呼び方には原則があります。まず「三角縁」という名前です。いったいどこが三角なの?と思うかも知れません。鏡の縁の部分の「断面の形」が三角に尖っていることが理由です。次に「三神二獣」ですが、神様、それも中国の神仙(しんせん)(西王母(せいおうぼ)とか東王父(とうおうふ)など)、と獅子(しし)のような霊獣(れいじゅう)(実在の獣ではない)とが交互に配置されています。神様の数が二ならば二神、三ならば三神、四ならば四神となるのです。獣像も同じように数えます。これらを組み合わせると「三角縁三神二獣鏡」となります。
三角縁神獣鏡の特徴は、
(1)直径が21~23㎝ほどと一定していて、日本の古墳出土鏡の中では大型品だということ
(2)縁の断面形が三角になっていて、ほかの銅鏡からは明確に区別されること
(3)神像と獣像が交互に配置されること(パターン化している)
(4)まんなかにある鈕(ちゅう)(紐(ひも)を通す孔(あな)をもったつまみ)が大きく丸く高いこと
(5)顔の映る鏡面(図1では裏側)はカーブミラーのように凸面(とつめん)になっていること
(6)これまで日本で見つかっている数が500面以上と多いこと
(7)中国語の漢字銘文(めいぶん)をもつものがあること(類似の鏡に魏(ぎ)の「景初(けいしょ)」や「正始(せいし)」の年号をもつものが少しあります)
(8)中国大陸や朝鮮半島では見つかっていないこと
(9)日本では近畿地方を中心に、北部九州から東北南部まで分布すること
(10)とても「上手な製品」(A・図1の鏡)と明らかに「へたくそな製品」(B)があること
などです。
この鏡の最大の問題は「いったいどこで作られたのか」です。漢字が書かれ、中国の神仙が描かれ、中国語の銘文をもつのですから、三国(さんごく)時代の魏や呉(ご)で製作されたと考えるのが普通です。しかし(8)の「中国大陸では出土しない」ことが最大の問題なのです。
解釈1
この鏡は『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された邪馬台国の卑弥呼の使者が魏の皇帝からいただいた「銅鏡百枚」にあたるもので、魏の「景初」の年号が使者の派遣された頃であるのがその証拠。邪馬台国向けに「特別に作られた」ために中国の普通の銅鏡ではないし、中国では出土しないのだ(特鋳説(とくちゅうせつ))。そのうち上手な製品(A)が魏から船ではこばれた輸入品(舶載鏡(はくさいきょう))であり、へたくそな製品(B)は「倭(日本)でまねた」のでうまくできなかったもの(仿製鏡(ぼうせいきょう))だ、とする説です。邪馬台国がどこに在ったのかがこの鏡の分布で分かるとするものです。
解釈2
この鏡が中国大陸で見つからないのは、そもそも「中国製ではなく」て、中国から倭(日本)に渡ってきた鏡作工人たちがどこか(近畿地方とか)で、持ってきた原材料をもとに「倭人の好み」に合わせて製作した鏡だ。中国人たちがある程度の数量を作った後に帰国してしまったので、倭の工人が鏡をまねたために下手(B)になったのだ。それに中国魏の皇帝が倭人の希望を聞いて「特鋳する」などとは思えない。だから邪馬台国の所在地論争とは関係しないのだ、とする説。
解釈3
この解釈1対解釈2が長い間の論争でしたが、最近、銅鏡の研究者に聞いた解釈は次のようなものです。上手な製品(A・舶載)と下手な製品(B・仿製)の区分が明瞭ではなく、製作に連続性があるので、(A)も(B)も「中国大陸で作られたのだ」というものです。理由のひとつは同時代の倭(日本)で作られた銅鏡が意外にも上手で、銅質も上等なので、倭国で下手な鏡(B)が作られただろうか?というものです(Bは中国製にしては下手すぎでは?との反論もありそうですが)。
いったいどれが正解なのでしょうか? また別の解釈もありえるでしょう。この三角縁神獣鏡の製作地論争はどうやら未来に引き継がれるようです。