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古墳時代(こふんじだい)の甲冑(かっちゅう)
考古室 古谷 毅
2025年01月02日
人類と武器・武具
戦争などで使われる兵器は、攻撃用(こうげきよう)の武器と防御用(ぼうぎょよう)の武具に分けられます。人類の歴史の中では戦いの開始と共に発明され、残念ながら現代まで絶え間なく発達してきました。
このうち武具には、人や馬が身に着ける甲冑とその不足部分を補(おぎな)う付属具の他に、盾(たて)や矢入具(やいれぐ)などがあります。身体を保護する甲冑は、頭部を護(まも)る冑(かぶと)と胴部を護(まも)る甲(よろい)が中心です。
弥生(やよい)・古墳時代甲冑の特徴(とくちょう)
弥生時代には、木の厚い板を削った刳抜式甲(くりぬきしきよろい)と、薄(うす)い四角形の板を革紐(かわひも)で繋(つな)ぎ合わせた甲があります。これに対し、古墳時代の甲は主に鉄製で、部品や製作技術に多くの種類があり、古墳からときおり出土することが明治時代から知られていました。
古墳時代は主に前期・中期・後期に分けられますが、まず前期(3世紀後半~4世紀後半)には縦長の鉄板(竪矧板(たてはぎいた))や四角形の鉄板を革紐で繋げた甲冑が作られました。前者は縦長の鉄板を鉄の鋲(びょう)で固定する朝鮮半島の甲と似ていますが、部品を繋ぐ技術が大きく異なります。
一方、中期(4世紀後半~5世紀)には、統一された規格で帯状の鉄板を使用する帯金式甲冑(おびがねしきかっちゅう)が作られました(図1)。正面(しょうめん)に尖(とが)った部分をもつ衝角付冑(しょうかくつぎかぶと)と短甲(たんこう)を中心に、頸(くび)や肩を護(まも)る頸甲(あかべよろい)・肩甲(かたよろい)、腰や太ももなどを護る草摺(くさずり)などの付属具を組合せた日本列島独自スタイルの甲冑(図2)で、帯金式甲冑は組み合う武器の種類(武装(ぶそう))からみても歩兵用(ほへいよう)の武具と考えられます。

図1 帯金式鋲留甲冑(衝角付冑・頸甲・短甲) 京都府相楽郡和束町原山古墳出土 古墳時代 5世紀 京都国立博物館蔵
![図2 古墳時代 甲冑模式図(末永1934 一部改変[古谷1996])](/jp/learn/home/dictio/assets/kouko/238_2.jpg)
図2 古墳時代 甲冑模式図(末永1934 一部改変[古谷1996])
帯金式甲冑は、はじめは弥生時代と同様な革紐で繋ぐ技術(革綴技法(かわとじぎほう))を使って作られていましたが、5世紀中頃になると、鋲で固定する朝鮮半島の技術(鋲留技法(びょうどめぎほう))を取り入れた量産品が作られるようになり、大陸のデザインを取り入れた新しいタイプの眉庇付冑(まびさしつきかぶと)も加わりました。これらは東北から九州地方の範囲で、その頃の日本列島で最も強い力をもっていたヤマト王権(おうけん)※と関係が深いと考えられる古墳から出土しています。
- ヤマト王権:3世紀後半頃~6世紀頃に、奈良盆地と大阪平野を中心として近畿地方(きんきちほう)に成立した古墳時代の政治的勢力(政権)。中国の歴史書に登場する5世紀の「倭五王(わのごおう)」など。
しかし、後期(6~7世紀)には、5世紀に大陸から伝わった乗馬の風習に伴(ともな)って、次第に挂甲(けいこう)と呼ばれる甲に交代してゆきました。挂甲は大陸で発達した細かな鉄板(小札(こざね))を組紐(くみひも)や革紐などで繋ぎ合わせているため、体の姿勢(しせい)を大きく変えても全体が伸(の)び縮(ちぢ)みする特徴があり、乗馬にあった甲としてユーラシア大陸全体に拡(ひろ)がっていました。 このような挂甲(小札甲(こざねよろい))の特徴は、平安時代に成立した大鎧(おおよろい)と大変よく似ており、中世(鎌倉(かまくら)・室町時代(むろまちじだい))や近世(江戸時代(えどじだい))の日本式甲冑(にほんしきかっちゅう)の起源(きげん)となったと考えられています。
古墳時代甲冑の性格
古墳には、さまざまなものが死者と一緒(いっしょ)に埋(う)められました。なかでも甲冑は、古墳時代の最初から副葬品(ふくそうひん)として使われました。中期・後期には、大量生産された帯金式甲冑や挂甲(小札甲)へと種類が移り変わりますが、甲冑はずっと副葬(ふくそう)され続けました。古墳から出土する甲冑は、当時の人々がどのように戦ったのか、また、中国や朝鮮半島の技術やデザインをどのように取り入れてきたのかを教えてくれる、貴重(きちょう)な資料といえます。
一方で、古墳から出土する甲冑には、実際の戦いには向かない形や、必要以上に飾(かざ)りを加えた例もあります。このような特徴をもつ甲冑が見つかっているのは、重要なポイントです。これらの甲冑は、単に戦いのための道具というだけでなく、当時の政治や社会を背景にした、人々の考えや社会のしくみを映(うつ)し出していると考えられます。
同じような特徴をもつ武具は、中世以降にもあり、甲冑を身に着けた武将(ぶしょう)の性格や思想をよく表しています(図3)。古墳時代の甲冑も、このように二つの側面をもつ武具だったと思われ、古墳時代の人々や社会が何を大切にしていたのかを探(さぐ)る重要な手掛(てが)かりになります。

図3 五輪塔六字名号頭立兜 江戸時代 18世紀 京都国立博物館蔵
3F-2考古展示「日本の考古資料」(2025年1月2日~ 3月16日)で、図3の作品は展示されません。
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