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古墳時代(こふんじだい)の馬と馬具(ばぐ)
考古室 繰納民之
2025年12月16日
日本に馬がくるまで
みなさんは、人がどこで、いつから馬を飼いはじめたのか知っていますか。 最初に馬を飼っていた人々は、今から約5000~6000年前、日本のはるか西にある中央アジア・カザフスタンの草原地帯にいたと考えられています。そこでは、銜(はみ)と呼ばれる馬具(ばぐ)が発見されています。銜とは、馬の口にかませて手綱(たづな)を通じて人の拳(こぶし)の動きを伝え、馬を操(あやつ)るための道具です(図1)。車でたとえるなら、ハンドルやブレーキの役割(やくわり)を果たすものです。動きの速い馬をうまく操り、飼いならすためには、このような道具が欠かせません。つまり、銜の発明こそが、人類の「馬を飼う歴史」の始まりだったのです。
図1 古墳時代の馬の装い
こうして生まれた馬を飼う技術は、やがて東アジア一帯に広まりました。しかし、周りを海に囲まれた日本にこの技術が伝わったのは、今から1500年前、 古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)(5世紀)のことです。当時、中国や朝鮮半島(ちょうせんはんとう)では戦いが絶えず起こっており、人々は勝利を求めて、馬の速さと力を武器として使うようになりました。日本の人々もこのような様子を見て、「自分たちも馬がほしい」と考えました。そこで当時の日本の王(倭王(わおう))は、朝鮮半島から馬や馬の飼育に詳(くわ)しい人々を招き入れたのです。近畿(きんき)には、王が招いた人々を住まわせ、馬を飼育していた牧場がありました。大阪府四条畷市(おおさかふしじょうなわてし)にある蔀屋北遺跡(しとみやきたいせき)がそのひとつです。この遺跡からは、馬のお墓や、子馬のトレーニングに使われた馬具、馬が塩分を補給(ほきゅう)するための塩を入れた土のうつわなどが見つかっています。
力のしるしとしての馬具
古墳時代の偉(えら)い人たちは、自分の力を示すために、大きなお墓(古墳)をつくりました。そこには豪華(ごうか)な品々をおさめましたが、馬具もそのひとつとしてよく入れられました。当時、馬を飼うことができるのは限られた少しの人だけでした。だからこそ、馬や馬具を持つことは、その人が偉い立場にあるというしるしにもなったのです。京都府福知山市(きょうとふふくちやまし)の弁財1号墳(べんざいいちごうふん)というお墓から見つかった馬具もその例です。このお墓には、轡(くつわ)・雲珠(うず)・辻金具(つじかなぐ)といった馬具がおさめられています(図2)。どれも金色に輝(かがや)いていますね。これは「こんなに立派(りっぱ)な馬具を持っているぞ」とまわりにアピールするため、わざとはなやかに作られたのです。
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鏡板付轡(かがみいたつきくつわ)
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雲珠(うず)
辻金具(つじかなぐ)
図2 京都府福知山市弁財1号墳から出土した馬具 古墳時代後期(6~7世紀) 京都国立博物館蔵
図2 京都府福知山市弁財1号墳から出土した馬具 古墳時代後期(6~7世紀)京都国立博物館蔵
しかし、実際にはすべて金で作られていたわけではありません。鉄の板に、金メッキした銅の板を貼(は)り合わせて作られていました。このような作り方を「鉄地金銅張(てつじこんどうばり)」といいます。すべてを金で作るのではなく、鉄や銅を組み合わせることで、当時まだ貴重(きちょう)だった金属を節約していたのです。古代の人々の知恵(ちえ)が感じられますね。
ところが古墳時代から飛鳥時代(あすかじだい)へと時代がうつると、仏教が広まったことにより、偉い人たちは、古墳にかわって寺院づくりなどに力を入れるようになりました。それにともない、自分の力を見せつけるために、お墓に豪華な品物を入れることが少なくなりました。そのため、きれいに飾(かざ)られた馬具もやがて作られなくなっていったのです。
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