工芸室長 山川 曉
2017年12月19日
今日はどんな服を着て出かけようかな・・・、天候を確認(かくにん)し、行先を考え、その日の気分に応(おう)じて、私(わたし)たちは一番しっくりくる服を手に取ります。その時、外出先にふさわしくないために取りやめる服装(ふくそう)はあっても、身分や立場によって着ることを禁(きん)じられる衣服はまずありません。現代(げんだい)を生きる私(わたし)たちには、自分の好みにあった衣服を選ぶ楽しさや自由があります。
しかし、少し時を遡(さかのぼ)って江戸(えど)時代以前を考えると、衣服には、現代(げんだい)では想像(そうぞう)できないようなさまざまな決まりごとがありました。公家なのか武家(ぶけ)なのか、それとも町人なのかによって、着られる衣服の形状(けいじょう)や、生地を飾(かざ)る技法(ぎほう)、さらには素材(そざい)までもが定められていたのです。さらに、公家であっても、大臣以上の地位にまでのぼる家なのか、清涼殿(せいりょうでん)への昇殿(しょうでん)を許(ゆる)されているのか(これを殿上人(てんじょうびと)と呼(よ)びました)、はたまた許(ゆる)されていないのか(地下と呼(よ)びました)によって、着用する衣服に違(ちが)いがあったのです。
例えば、この絵を見てください(図1)。三人の公家男性(だんせい)が水辺で散策(さんさく)を楽しんでいるところです。公家の日常(にちじょう)のお出かけの様子を描(えが)いているのですが、その服装(ふくそう)に注目してみましょう。三人は、右から白、緑、茶色の衣服を着ているのですが、この衣服は袖付(そでつ)け部分が一部しか縫(ぬ)われていないようで、下に着ている内着が脇(わき)からちらりと見えています。そして、この衣服の袖口(そでぐち)には、いずれも袖括(そでくく)りの緒(お)と呼(よ)ばれる紐(ひも)が付けられています。このような特徴(とくちょう)をもつ衣服として思(おも)い浮(う)かぶのは、狩衣(かりぎぬ)と呼(よ)ばれる衣服です。
しかし、よくよく見ていくと、右端(みぎはし)の人物の着衣のみ、前身頃(まえみごろ)と後身頃(うしろみごろ)の脇(わき)が大きく開いているにもかかわらず、裾(そで)に別裂(べつぎれ)が付けられ、前後の身頃(みごろ)が裾(すそ)だけつながっている様子が見て取れます。これは狩衣(かりぎぬ)ではなく、小直衣(このうし)と呼(よ)ばれる衣服です。小直衣(このうし)は、近世には上皇(じょうこう)や親王、または大臣や大将(たいしょう)に任官(にんかん)した高位の公家のみが着用できる特別な衣服でした。このことから、右端(みぎはし)に描(えが)かれるのは、身分が高い人物であることがうかがえます。
さらに、小直衣(このうし)には、着用者の年齢(ねんれい)によって厳格(げんかく)な決まりがありました。
上の小直衣(このうし)をじっくり見比(みくら)べてみてください(図2・図3)。衣服としての形はまったく一緒(いっしょ)ですが、注意したいのは、生地に織(お)り出された文様の大きさです。前身頃(まえみごろ)を例に挙げると、図2では、生地幅(はば)におおむね二つの丸文が置かれていますが、図3では一つだけになっています。これは、公家装束(しょうぞく)においては、小さい文様を密度(みつど)高く配したものは若(わか)い人向き、大きい文様を間遠に散らしたものは老年向きという、約束事があるからです。さらに、袖括(そでくく)りの緒(お)も、図2では幅広(はばひろ)でしかも紫(むらさき)と白が交互(こうご)にあらわれる組紐(くみひも)を用いていますが、図3では細くて白い紐(ひも)二本になっています。袖括(そでくく)りの緒(お)にも、三十歳(さんじゅっさい)くらいまでは図2のような薄平(うすひら)を、年齢(ねんれい)を重ねると図3のような左右縒(そうより)を用いるとされていました。
このように、江戸(えど)時代以前には、身分や年齢(ねんれい)に応(おう)じて着用できる衣服はほぼ定まっていました。それは、衣服というものが外見を形づくるがゆえに、着ている人の社会的な地位を示(しめ)すという役割(やくわり)を負っていたからです。
もし、自分の意思で衣服を選べるとしたら、当時の人々はどんなおしゃれを楽しみたかったのでしょう。選べる自由って素敵(すてき)ですね。
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