上席研究員 赤尾栄慶
2014年09月13日
今日は、藍(あい)で漉(す)き染(ぞ)め―出来た紙を藍の中に入れ、漬(つ)けて染(そ)めるのではなく、紙を漉く時に紙の材料と一緒(いっしょ)に藍を入れ交ぜて紙を漉くことをいう―した紙に『万葉集』が書写(しょしゃ)されていることから、「藍紙本(らんしぼん)」と呼(よ)ばれている『万葉集』を見てみましょう。
『万葉集』は、奈良(なら)時代に編纂(へんさん)されたわが国最古(さいこ)の歌集(かしゅう)で、全体は二十巻、歌の数は四千五百首余(あま)りを収(おさ)めています。歌の内容(ないよう)では、主に恋愛(れんあい)の歌からなる相聞歌(そうもんか)(知らせを通じ合う意味)、死者を哀悼(あいとう)する歌である挽歌(ばんか)、これらに属(ぞく)さない雑歌(ぞうか)などを基本(きほん)とし、歌の形式としては、主に長歌(ちょうか)と短歌(たんか)からなっています。また長歌には、長歌の後によみ添(そ)える短歌である反歌(はんか)が添えられていることが多くあります。
この時代には、まだ仮名(かな)の文字が出来ていませんでしたので、表記には、漢字と、漢字を使った万葉仮名(まんようがな)が用いられました。漢字を本来の表意(ひょうい)文字(意味を表す文字)ではなく、日本語の音を表すために借りて用いるものが万葉仮名といってよいでしょう。『万葉集』の最初は、漢字ばかりでしたが、平安(へいあん)時代十世紀半(なか)ば頃(ごろ)に短歌には平仮名(ひらがな)の読みが付けられ、真名(まな)(漢字のこと)と仮名(かな)(ひらがな)の歌が並(なら)んで書き写されるようになり、今見ているようなかたちになったのです。
相聞歌の部類に入っている「入唐使(にっとうし)に贈(おく)る歌一首」を見てみましょう。
贈入唐使歌一首
海若之何神乎斎祈者歟往方毛来方毛船
之早兼
わかつうみいつれのかみをたむけはか
ゆくさもくさもふねのはやけむ
右一首渡海年記未詳
[意味]
海の神のどの神に祈ったら、行きも帰りも、船が早いのだろうか。
(思い慕(した)う人が遣唐使(けんとうし)になったので、)遣唐使が早く唐(とう)につき、帰りも早く帰れるように、海の神に祈(いの)りつつ、遣唐使の無事を願う気持ちが込(こ)められた歌だと思います。ただし、いつの時の事かは、わからないというものです。
紙に目をやると、天地には淡(あわ)い墨(すみ)で線が引かれており、紙の表面には、銀のもみ箔(はく)―手で細(こま)かく砕(くだ)いた箔―があらく撒(ま)かれています。本文の書写者は、字すがたなどから、藤原行成(ふじわらのゆきなり)の孫にあたる藤原伊房(ふじわらのこれふさ)(1030―96)と認(みと)められており、平安(へいあん)時代十一世紀の後半の写本(しゃほん)ということになります。巻末(かんまつ)の奥書(おくがき)には、「始自九月十七日至于廿日写之了」(九月十七日から始めて二十日に写し終えた)とあることから、三十紙近くを四日間で書き写したことがわかります。中々、スピーディな書きぶりなのです。
そういえば、平安時代の平仮名には、繊細(せんさい)な筆線のものが多いのですが、この「藍紙本」は、漢字も平仮名も筆線が太く、字粒(じつぶ)もやや大きめになっているのが特徴(とくちょう)です。もちろん、平安時代に書写された『万葉集』では、代表的な写本のひとつに挙げられているものです。
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