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仏教(ぶっきょう)学者のコレクション 松本文三郎(まつもとぶんざぶろう)の旧蔵品(きゅうぞうひん)
美術室 上杉智英
2020年02月04日
みなさんは、集めているものはありますか? 収集(しゅうしゅう)、コレクションと言えば大げさかもしれませんが、誰(だれ)もが多かれ少なかれ、何らかのこだわりを持って、何かを集めているのではないでしょうか。例えば女優(じょゆう)のアンジェリーナ・ジョリーはアンティークナイフの収集家として有名ですし、ペネロペ・クルスはコートハンガーを収集していると言われています。共感できるものから、「何で?」と首をひねるものまで、コレクションは人それぞれですが、いずれも趣味(しゅみ)や嗜好(しこう)、価値観(かちかん)や経済力(けいざいりょく)など、その人の個性(こせい)を鏡のように映し出すものです。
京都国立博物館の所蔵(しょぞう)する書跡(しょせき)は、3つのコレクションを基盤(きばん)として形成されています。
【守屋コレクション】
弁護士、守屋孝蔵(もりやこうぞう)(1876~1954)氏が収集した古写経(こしゃきょう)268件(けん)、宸翰(しんかん)(天皇の書)8件。
【上野コレクション】
朝日新聞創業者の一人、上野理一(うえのりいち)(1848~1919)氏が収集した中国書跡・絵画163件。
そしてもう一つが仏教学者、松本文三郎(1869~1944)氏が収集した仏教写本89件、仏教版本(はんぽん)33件の122件よりなる【松本コレクション】です。
松本文三郎氏(図1)は、明治から昭和にかけて活躍(かつやく)したインド哲学(てつがく)・仏教学者です。石川県金沢市に生まれ、昨年(2019年)は生誕(せいたん)150周年にあたります。京都帝国大学文科大学(京都大学文学部の前身)の開設委員、同学長、東方文化研究所(京都大学人文科学研究所の前身)所長などを歴任(れきにん)し、常に学会をリードしてきました。また日本仏教各宗派(しゅうは)の重要な文献(ぶんけん)を集めた『日本大蔵経(にほんだいぞうきょう)』を編集(へんしゅう)し、多くの著書(ちょしょ)を執筆(しっぴつ)しています。
松本氏の収集した仏教典籍(てんせき)は昭和7年(1932)に石崎達二(いしざきたつじ)編『仏教関係古写古版本目録』(『仏教徴古館(ちょうこかん)紀要』第2冊)として目録が出版(しゅっぱん)されています。そこには、仏教写本101件、仏教版本164件、その他5件の計270件が収録(しゅうろく)されています。
松本氏の没後、昭和25年(1950)に、そのコレクションの一部が、京都大学人文科学研究所教授の塚本善隆(つかもとぜんりゅう)氏によって購入(こうにゅう)され、同研究所に寄贈(きぞう)されました。昭和27年(1952)には『松本文庫目録』が出版されています。その後、昭和39年(1964)に残りの仏教典籍を京都国立博物館が購入しました。ですから松本氏の旧蔵品は、京都大学人文科学研究所と京都国立博物館に分蔵(ぶんぞう)された形となっています。それでは、本館が所蔵する松本コレクションより大変重要な2作品を紹介しましょう。
摩訶般若波羅蜜優波提舎(まかはんにゃはらみつうばだいしゃ)
巻(まき)第二十七・二十八断簡(だんかん) 一巻(かん)(図2)
中央アジアから出土した仏典で、隷書体(れいしょたい)(お札に書かれている「日本銀行券」に使われている書体です)の影響(えいきょう)が残る字姿より5世紀前半の書写と考えられます。20世紀初頭、西本願寺第22代門主の大谷光瑞(おおたにこうずい)氏が派遣した大谷探検隊が持ち帰った中より優品(ゆうひん)を選び出版した『西域考古図譜(さいいきこうこずふ)』にも掲載(けいさい)されている非常(ひじょう)に貴重(きちょう)なものです。この写本がどのような経緯(けいい)で松本氏の所有になったのかは不明ですが、氏は『西域考古図譜』編纂者(へんさんしゃ)の一人でしたので、その関係より入手したのかもしれません。
梵字形音義(ぼんじぎょうおんぎ) 四巻(図3)
平安時代の天台僧(そう)、温泉房明覚(おんせんぼうみょうかく)(1056~?)が、承徳(じょうとく)2年(1098)に著した梵字の研究書です。本作品は明覚撰述(せんじゅつ)の8年後、嘉承(かしょう)元年(1106)に書写された現存最古の『梵字形音義』完本(四巻揃)で、早期の五十音図もみられ、日本語研究においても重要な作品です。金沢市出身の松本氏は、同郷(どうきょう)で活躍した明覚に親近感を覚えたのか、同じく明覚の著述である『悉曇大底(しったんだいてい)』の古写本も所有しており、「賀州(がしゅう)隠者(いんじゃ)明覚と我邦(わがくに)悉曇(しったん)の伝来」(『藝文(げいもん)』1917)という論文(ろんぶん)も執筆しています。
それぞれの作品を個別(こべつ)に見た時と、コレクションとして見た時、そこにはまた異(こと)なった物語が浮(う)かび上がってきます。中央アジアから日本まで、その壮大(そうだい)なコレクションは、あたかも氏の学問を体現(たいげん)しているかのようです。
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