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No.13
ありがとう!
河原 正彦
博物館だよりの執筆順は、阿弥陀籤で決まっている。だから私の執筆順がこの号になったのも単なる偶然である。今年、平成9年は、京都国立博物館開館100周年の記念の年で、秋の特別展覧会の開催時にあわせて、記念の行事を幾つか準備している。いささか過去を振り返ることになるが、 私が京都府から「きょうはく」 (京博) へ移ったのは、 昭和43年1月1日。今年の元旦で29年たったことになる。京博100年の歴史の中で、四半世紀を越えて在籍し、また、京都府時代を加えれば、100年の1/3は展覧会関係の仕事に携わってきたことになる。
たしかにこの四半世紀の期間は、博物館も展覧会も新しい事業として大きな変革期を迎えた。昭和30年代まではデパート展の全盛期で、何をやっても大勢の人が集まった。それに続いて、 海外からの美術品の借用によって、美術館・博物館の貸会場としての活用がはじまった。京博も、そうした流れの中に組こまれていったのである。私が博物館へ移ったのも丁度そんな時期で、まだ文化財保護委員会の傘下。のんびりした時代で、毎日資料を読み、資料カードをつくる時間があった。
しかし、そんな時期もほんのわずかで、京博もにわかに忙しくなった。「共催特別展ラッシュ」の時代であり、テーマ陳列や特陳ラッシュの時代でもあった。まことに乱暴な時代で、学芸課の職員に行政職の技官が何人かいて、業績を挙げ、研究職にし直すのに盛んに特陳が奨励された。そんな中で手掛けた 「唐・宋の陶枕」 (昭和45年) や「唐津−その美と歴史−」 (昭和49年) 展は、記憶にのこるものといえよう。
陶枕は中国陶磁器の埋もれた領域を発掘したものだったし、唐津展は唐津独特の 「掘り出し唐津」や発掘陶片と伝世品を同時に関連づけたものであった。それと同時に、西洋物を含むパックものの共催展も入ってきた。また国交回復を願って「中華人民共和国出土文物展」 (昭和48年)、「韓国美術五千年展」 (昭和51年) が開かれ、二度にわたる「日本国宝展」 (昭和44、51年) など、昭和51年をピークに大展覧会が次々と開催され、展覧会といえば十何万、何十万という観客が来るものというスタイルが定着した。
そうした時期をへて、共催展でも主体性をもった事業にしたいという意向が、当然のこととして生まれてきた。館独自の展覧会も従来のスタイルから、学芸みんなで力を併せて行う総合的なテーマの展覧会へと展開されていた。いわば 「総合展の時代」であり、「禅の美術」 (昭和56年)、「花鳥の美−絵画と意匠−」 (昭和57年) や「山水−思想と美術−」 (昭和58年) などがその代表であろう。そして近年は従来の展覧会スタイルに戻っている。
こうして見てくると、私も、博物館も、まさに「展覧会の時代」の中にいたということになる。刺激的で、活気に満ちたこの時代に出会えたのは、実に幸いであったといえよう。ありがとう!
[No.113 京都国立博物館だより1・2・3月号(1997年1月1日発行)より]