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No.31

芸と作品の風格

泉 武夫

 先日、東京の歌舞伎座で仮名手本忠臣蔵・山科閑居の場を見た。加古川本蔵の妻、戸無瀬が娘を連れて、大星由良之助(じつは大石内蔵之助)の息子にめあわせに来る場面である。両者はいいなずけなのだが、加古川本蔵が大星の主君の刃の振り下ろしを止めてしまった張本人というめぐりあわせになったため、大星家は結婚をなかなか承知しない。そこをとりもつ戸無瀬は、武家の妻という威厳をたもちながら娘の幸せも成就させなければいけないという難しい役柄で、おやまの三大大役とされている。

 戸無瀬を演じたのは玉三郎だった。みながいうように玉三郎にはオーラがあり、セリフなしで立っているだけでもその存在感は強烈なのだが、この日の衣裳は鮮烈な無文の緋色で驚いた。舞台がいっきにまぶしくなった。イヤホーンガイドの解説者は、緋色のような派手な衣裳は、役者のほうによほどの貫禄がないと位負けするものだ、といっていたが、玉三郎の芸は緋色にいっぽも負けてはいなかったことは確かである。

 展覧会をやっていると、これと似たような経験をすることがある。昭和63年に開催した「仁和寺の名宝」展のおり、国宝の孔雀明王像(北宋時代)を展示する特設のケースの色を選定した。外装は渋い青緑色とするのはいいのだが、内装をどうするかで少し迷った。結局やや暗い赤紫色とした。いざケースが完成し、ライトをつけてみると、暗い赤紫どころかド派手なピンク色になった。白いライトの効果までは推し量れなかったのである。

 ケースを見にきた同僚の研究員はいずれも、こいつはどういう神経をしているのだろう、という顔をした。わたしはあせった。オープニングは数日後だから、もし内装を変更するならば即決しなければならない。しかしまてよ、これでもいいかもしれない。と、とりあえず孔雀明王を懸けてみた。

 孔雀明王の表装は密教法具をデザインにしたカラフルかつ大胆なもので、それ自体風変わりである。この表装が気にならないのは、じつは作品が多彩で技法的にもすばらしいからなのである。ならば、ちょっとやそっとのケースの色ごときに左右されるわけがないのだ。というわけで、内装のピンク色もなんのその、孔雀明王画像の作品の威厳とそのたぐいまれな魅力は、微動だにしなかったのである。同僚からの非難のまなざしはそれからピタリと止み、観客からの苦情もとくになかったらしいので、まずは成功したと信じる。

 それ以来、国宝の超一級の仏画のケースや補助パネルには、大胆な色彩の展示を試みるくせがついた。平成10年の「王朝の仏画と儀礼」展では、数多くの仏画の名品を出品させていただいたのだが、なかでも東京国立博物館の国宝普賢菩薩像と神護寺の国宝釈迦如来像〈赤釈迦〉は圧巻だった。それぞれ明るい橙色とやや深みのある赤色という奇抜なパネルを背後に用いたのだが、案の定、作品の印象が乱されるどころか、暴れ馬を乗りこなすような痛快さが感じられたのであった。

[No.131 京都国立博物館だより7・8・9月号(2001年7月1日発行)より]

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