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No.40
新「スター・ウォーズ評論家」
興膳 宏
今年の二月初旬、「アート オブ スター・ウォーズ展」準備のために、サンフランシスコに出かけ、この展覧会の企画者である狩野博幸さんとともにルーカスフィルムの資料館(アーカイブ)を訪れた。ゴールデンゲートを渡って、車で一時間ほどの丘陵地帯の一角に、ひっそりと目ざす宝の山はあった。一見、牧場の納屋然とした建物の中に、スター・ウォーズのファンならこたえられないような、スケッチ、マット・ペインティング、衣裳、小道具、模型のたぐいがぎっしりとひしめいている。しかも、それらの一つ一つが、想像していたよりもずっと精巧に作られていて、記憶にある映画のシーンに重なった。
翌日、別の場所にあるもう一つの資料館も見せてもらい、展覧会の構想を固めていった。スター・ウォーズに精通している狩野さんは、次々と現われる収蔵品に接するたびに、展示の具体的なイメージが湧いてくるようだったし、素人の私にしても、アミダラ女王の多様で華麗なコスチュームが京博本館の雰囲気によく調和するだろうなどと、楽しく想像をめぐらした。
伝統的な文化財を対象とした展覧会で知られる京都国立博物館が、こともあろうにアメリカのSF映画の展覧会を開くというので、毀誉褒貶とりどりの世評が渦巻いている。だが、私は現実のものとなった展覧会を見るにつけて、いかにも従来の京博の展覧会からすれば型破りではありながら、本館のロマネスクなムードに予想以上によく溶けこんだ展示になっていることを確認し、改めて安堵感を覚えている。
これも半ば予想していたことだが、観客はいつもの特別展に比べて、圧倒的に若年層が多い。ことに夏休みに入ると、子ども連れの家族の多さが目を引くようになった。70年代にスター・ウォーズのファンになったお父さんが、いま息子を前に蘊蓄を傾けるといった図もよく見かける。いささか失礼にわたる表現を用いれば、こんど博物館に生まれてはじめて足を運んだ人々も少なくないのではないか。
しかし、新館の平常展の方を時折のぞいてみると、スター・ウォーズ展からそのまま移動してきたような子ども連れの家族や若者たちが、熱心に展示品に見入っている姿をよく目にする。考古遺物の品々や季節にちなんだ「祇園祭礼図屏風」のまわりには、しばしば若い観客の群れができている。スター・ウォーズ展が機縁となって、古い伝統的な文物に対する若い世代の関心が多少とも高まるなら、こんな喜ばしいことはあるまい。
小林信彦『現代〈死語〉ノートⅡ』(岩波新書、2000年)によると、1978年には、「スター・ウォーズ評論家」なる流行語があった。アメリカで一年前に封切られたスター・ウォーズの細部について、いかにもおたくっぽく自己宣伝もこめて書き散らす人々を、そう呼んで揶揄したそうである。それをもじっていえば、いまや新「スター・ウォーズ評論家」の時代である。ただし、こちらの方の定義は、「スター・ウォーズ展を見る前から、あるいは見もせずに、嫌悪感を吹きまくる人々」である。
[No.140 京都国立博物館だより10・11・12月号(2003年10月1日発行)より]