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No.52

相称える美術の文化

中村 康

 人と人、人と自然の美しく完成された所産が、互いに相称え、それぞれの個性を引き立て輝かせるところに美術は生まれる。表現上の主客と左右、線描と色彩、水墨と余白、本紙と表装、素材と技術、作者と鑑賞者など、対照するものが調和して映え合い、響き合って、美術という有機的な統一体が構成される。

 飛鳥時代7世紀の法隆寺百済観音は、正背両側の四面から相互に彫り進められたのであろう。正面と背面が、生命感と構築性との静かな対比をなし、動きをともなう両側面の間に厳しさと優しさの通い合う美しい姿を得ている。息づくような鷹揚、凛として爽やかな気品とともに樟材が元来の張りと荒振りも顕われ、自然を写す光背台座との呼応から、深い空間さえ現われ出る。

 このような成熟した作品に至る美術の歴史の源泉を、紀元前650年まで遡ろう。それぞれ固有のミューズ(女神)を祀る多様な文化の共同体が、古代ギリシアを形成していた。その中心の一つ、デロスのミュージアム(女神殿)に、等身より大きく百済観音と相似て気品のある大理石彫刻が奉献された。その銘文に言う。

 我を、遠矢射る女神に献ぜしは、ニカンドラなり。

 ナクソスびとディノディコスの女にして、余の女性に卓んず。

 ディノメネスの姉妹にして、フラクソスの妻なりき。(澤柳大五郎訳)

 字が使われて間もない頃の、言葉の一つ一つが、美を称えて響き合う詩文である。奉献者ニカンドラとその父・兄弟・夫、彼女と美を競った女性達が、ともに称え合う美術の文化が浮かび上がる。

 1887年(明治20)3月、宮内省内匠寮の建築家片山東熊と文部省美術施策担当の岡倉天心は、ウィーンで会う。18世紀までの欧州王侯貴族の都を彩った建築、美術をその豊かさのまま引き継ぐ近代都市。ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスが活躍した19世紀国際文化の中心、ウィーン。それを習い写すのではなく、共に映え輝く文化の共同体を京都に作る。その構想のもとに美術博物館の建設が進められた。

 95年に建築は竣工した。西洋建築の歴史を継承する煉瓦造に、沢田石工、花崗石工など伝統の美しい仕事が過不足無く平衡し、持ち合い、支え合う。伊豆沢田の凝灰岩と伊予大島の花崗岩との、歴史に由来する清楚な形や線が響き合い、軽快に律動して周囲の自然や古建築に及ぶ。各々の青く澄んだ色を、錬成の叩き痕が引き出し、それは明るい磨き煉瓦に映え、朝夕と季節の表情さえも映す。

 破風の技芸天には、天平塑像の高邁清冽も、ギリシア彫刻の生命謳歌も、ゴヤの描いたマハの奔放も見えよう。その溌剌として豊かな表現は、毘首羯磨が映し出すミケランジェロの苦悩やロダンの畏れとも響き合い、新しい時代の女性の美を称える。

[No.152 京都国立博物館だより10・11・12月号(2006年10月1日発行)より]

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