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No.115
ソウゲンの絵画
京都国立博物館研究員
森橋 なつみ
数年前、大阪市の美術館員として奉職していた頃、別の組織で働く同期職員とはじめて顔を合わせ、自己紹介した時のことです。
「ソウゲンガを勉強しています」
「わたしと専門が近いですね!」
嬉々とする彼女にこちらもうれしくなって、話題をひろげてみましたが、何故だかちっとも疎通できない。お互いに、あれ?と気づいて、再確認。
「わたしは中国の宋元時代の絵画を研究しています」
「わたしは中央ユーラシア草原の考古学を研究しています」
わたしのソウゲンガ(宋元画)と、彼女のソウゲンガ(草原画)は、数分間のすれ違いの末に別のものであると判明。なるほど、世の中でソウゲンといえば「草原」を浮かべるのは自然なことで、草原考古学を専攻していた彼女はなおさらのようでした(ちなみに〝草原画〟とは、墳墓壁画のようなものをイメージされたみたいです)。研究者同士だとあまり意識せずに使ってしまう「宋元画」という言葉ですが、非常に限定的なものであることを再認識させられました。
すでに多くの先学が言及するように、「宋元画」というのは非常に日本的な概念です。単純に中国の宋と元の時代に制作された絵画をまとめて呼ぶのではありません。前近代において隣国からもたらされた「宋元画」は、まず日本が入手し得たものであり、さらに日本側の好みで選択され、限定的な知識の中で分類され、ときに誤解されたものでした。徽宗皇帝、趙昌、馬遠、夏珪、牧谿、玉澗などの画家の作品が珍重され、権威づけられ、各時代に日本人の価値観によって縁取られています。足利将軍家のコレクションである東山御物として、漢画の規範として、明清画に対する古典として、美術史上の名品として、輪郭を少しずつ変容させながら評価を与えられつづけてきました。現在、国宝に指定される中国絵画の多くが「宋元画」であることからも、日本文化にとっていかに重要視されてきたのかがうかがえます。
さて、少し話は逸れますが、展覧会で「伝(作者名)」と表記されたキャプションを見ることがあるかと思います。これはその作家の作品として信じられてきた(けれども今日的な観点ではそうは言えない)、ということを示すものです。「宋元画」には、先に述べた事情もあって、この「伝(作者名)」とされるものがたいへん多くあります。これは、優れた作品を憧れの画家と結びつけて認識してきた日本人の過去のまなざしを証言するものであって、一概に作品の価値を否定するものではありません。京都国立博物館ではこの秋、茶の湯に焦点をあてた展覧会を開催しますが、ここに「伝(作者名)」とされる「宋元画」が多数出陳される予定です。もちろん、作品そのものが第一に素晴らしいということがありますが、茶の湯という日本に根差して発展した文化を通して、「宋元画」がいかに尊ばれ、愛されてきたのかを垣間見ることができます。ソウゲンガ。今度はきっと、彼女にも伝わるはず。
[No.215 京都国立博物館だより7・8・9月号(2022年7月1日発行)より]