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No.116

琉球王の装束

京都国立博物館企画室長兼工芸室長

山川 曉

 現在の沖縄県一帯は、かつて琉球王国という独立国家であった。1429年、沖縄本島に分立していた三国を尚巴志(しょうはし)が統一したことによって誕生した王国は、第一尚氏(しょうし)から第二尚氏へと曲折を経つつ王統を継承し、明治時代、琉球処分によって沖縄県として日本国に編入されるまで存在した。

 本年は第二次世界大戦後アメリカの統治下に置かれた沖縄が、本土に復帰して50年という節目の年。これを記念して、東京国立博物館と九州国立博物館では、特別展「琉球」が開催された。その会場に展示されていたのが、尚王家に伝来した宮廷装束、玉冠と唐衣裳である。2017年に当館で開催した特別展「国宝」においても展示させて頂いた作品なので、ご記憶の方もあるかもしれない。

 中国大陸と日本列島の中間に位置する地理的特性から海上交易の中継地として繁栄した琉球王国は、その最初期から中国へ朝貢し、始めは明王朝と、王朝交代後は清王朝との間に、形式的ではあるものの君臣の契りを結んでいた。これを冊封(さくほう)関係という。そのため、新たな王が即位する際には中国へ使者を送り、王位の継承を認知してもらう手続きを踏む必要があった。そして新王の即位にあたっては、中国から使者が来琉し、琉球王に封じるとの皇帝勅諭(ちょくゆ)とともに中国の宮廷装束をもたらすのが慣例となっていた。

 それでは、琉球展の会場に展示されていた玉冠と唐衣裳は中国から下賜された宮廷装束なのかというと――これがなかなか複雑な性格を有している。

 確かに唐衣裳の生地は清朝から拝領した蟒緞(もうどん)の反物であり、その点では清朝の宮廷衣料には違いない。しかし、その仕立ては映画「ラストエンペラー」などでおなじみの清朝の宮廷装束、いわゆる龍袍とは異なり、明朝の宮廷装束のうち「皮弁服(ひべんふく)」と呼ばれる形式にならって製作されたものである。玉冠と呼ばれている冠も、本来はこの皮弁服にあわせてのみ身に着ける被り物で、明朝においては皮弁冠と称されたもの。つまり、清朝の反物を明朝風の宮廷装束に仕立て、琉球王は着用し続けていたのである。

 しかしそれも故なきことではない。明朝にあっては、琉球王には皮弁服一式と常服(じょうふく)一式が、すでに仕立てられた状態で下賜された。ところが清朝では、反物の頒賜であったことが、勅諭の記載から明らかにできる。つまり、清朝に入ってからは、唐衣裳の仕立ては琉球国内で行われていた。基本的に冊封した周縁国への清朝の支配は緩やかであり、清朝の宮廷装束が押し付けられることはなかったのである。

 琉球王の宮廷装束について物語る作例は極めて少ない。かつて尚王家が所蔵していたという歴代の琉球王の肖像画「御後絵(おごえ)」には、宮廷装束を身に着けて正装した王の姿が描かれていたが、それらはすべて沖縄戦で失われてしまった。今は戦前に撮影されたモノクローム写真からその面影を知ることしかできない。

 沖縄本土復帰50年という本年、かつて海上に栄えた王国の姿を偲ぶとともに、玉冠と唐衣裳を通して、中国の風俗を取り入れつつ独自の美意識と価値観を育んだ琉球人のこころへ、深く思いを致したい。

[No.216 京都国立博物館だより10・11・12月号(2022年10月1日発行)より]

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