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皇帝の龍(こうていのりゅう)
工芸室 河上
1998年02月14日
龍は中国(ちゅうごく)で生まれた想像上の動物です。龍という字は、紀元前17世紀ごろから11世紀にかけての商(しょう)王朝で用いられていた甲骨文(こうこつぶん)や、その次の王朝の周(しゅう)にかけてさかんに鋳造(ちゅうぞう)された青銅器の金文(きんぶん)にも見られることから、いかに古くから中国の人びとが龍と関わってきたかがわかります。
紀元前2世紀末の『淮南子(えなんじ)』という書物には、飛龍(ひりゅう)・応龍(おうりゅう)・蛟龍(こうりゅう)・先龍(せんりゅう)がおり、これらからそれぞれ鳥類・獣類・魚類・甲殻類が生まれたとあります。つまり龍はあらゆる動物の祖であり、造物主たる神のような存在であったのです。そのためでしょうか、龍の姿は「九似(きゅうじ)」といって、角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、目は鬼、項(うなじ)は蛇、腹は蜃(みずち)、鱗(うろこ)は魚、爪は鷹、掌(たなごころ)は虎、耳は牛に似ていると言われます。まさに人間の創造力のなせる技です。アニメの合体ロボットどころではありません。この異形をもって龍はあらゆる動物の頂点に君臨(くんりん)し、最高の瑞祥(ずいしょう)ともなったのです。
ところが、悠々(ゆうゆう)と天空を駆(か)けめぐっていたはずの龍が、皇帝の権力に搦(から)めとられて、皇帝の衣服のなかに閉じこめられてしまったのです。この時から龍は権力者としての皇帝のシンボルとなりました。
皇帝が最も重要な祭事のときに着た服には、十二章(しょう)といって君子(くんし)の備えるべき美徳(びとく)を象徴した十二の文様があらわされました。その一つに龍の文様があります。これは龍が変化(へんげ)することから、君子もまた時勢(じせい)に応じて柔軟(じゅうなん)な政治をするという意味です。十二章は太古の君子舜帝(しゅんてい)の時に定められたといわれますから、たいへん古くから龍の文様もあったことになりますが、ここでの龍はまだ権力のシンボルではありません。
唐(とう)の時代、龍は権力のシンボルとして皇帝の服を飾るようになっていました。長寿(ちょうじゅ)3年(693)には位の高い官人に龍の服が与えられました。皇帝から権力のシンボルである龍の服をいただくことは、たいへんな名誉でした。そのうちに龍の文様の服をかってに着る人も出てくるようになります。大徳(だいとく)元年(1297)には胸や背に小さな龍の文様をつけることは差し支えないが、衣服全体に及ぶような大きな龍をつけることが禁止され、延祐(えんゆう)2年(1315)には五爪二角の龍文が皇帝専用の文様として規定されます。五本の爪をもち、頭に二本の角をはやした龍が権力のシンボルとして定まったのです。
明(みん)の時代にも同じく五爪二角の龍が皇帝の服を飾りました。いっぽう、臣下(しんか)たちは皇帝の龍から爪を一本減らした四爪の龍の服を皇帝から賜るようになります。四爪龍は蠎(もう)とも呼ばれました。
蠎の服が臣下に下賜されるようになるのは15世紀中ごろです。龍に似たものには他にも飛魚(ひぎょ)と斗牛(とぎゅう)がありました。
飛魚は蠎と同じく四爪で、胴の部分に魚の鰭に似た羽が付いていて、尾も魚のようでした。斗牛も四爪か三爪で、角が水牛のように外側に曲がっているのか特徴です。蠎も飛魚も斗牛も臣下が皇帝から下賜される服の文様です。龍はあくまでも皇帝の専有物であり、蠎・飛魚・斗牛も龍に似ているのですが、それぞれに違いをつくり、着る人の身分によって区別したのです。
天順(てんじゅん)2年(1458)には蠎・飛魚・斗牛の乱用を戒(いまし)める禁令が出され、その後も何度か禁令が出されました。いつの世も人は背伸びをしたがるものです。ついに清(しん)の時代には龍とまったく同じ姿のものを蠎と呼んで、臣下たちが自分の服を飾るようになりました。権力に捕らわれた龍は、もはや自由に天空を飛翔(ひしょう)することを忘れてしまったようです。