本展は、事前予約は不要です。会期等は今後の諸事情により変更する場合があります。随時、当ウェブサイトや当館公式Twitterにてお知らせいたしますので、ご来館の際は最新情報をご確認ください。
特別展 京(みやこ)に生きる文化 茶の湯
2022(令和4)年10月8日(土)~12月4日(日)
[主な展示替]
前期展示:2022年10月8日(土)~11月6日(日)
後期展示:2022年11月8日(火)~12月4日(日)
※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替を行います。
京都国立博物館 平成知新館
JR、近鉄、京阪電車、阪急電車、市バス
交通アクセス
月曜日
※ただし10月10日(月・祝)は開館、翌11日(火)休館
火~木・日 9:00~17:30(入館は17:00まで)
金・土 9:00~20:00(入館は19:30まで)
一般 | 1,800円(1,600円) |
---|---|
大学生 | 1,200円(1,000円) |
高校生 | 700円(500円) |
10月15日(土) | 「利休の懐石」 講師:筒井 紘一 氏(京都府立大学 客員教授、茶道資料館 顧問) ※応募締切:9月15日(木)必着 |
10月22日(土) | 「京に生きる文化 茶の湯―歴史とその背景―」 講師:降矢 哲男(京都国立博物館 調査・国際連携室長) ※応募締切:9月22日(木)必着 |
10月29日(土) | 「日本の茶文化における中国絵画受容」 講師:森橋 なつみ(京都国立博物館 研究員) ※応募締切:9月29日(木)必着 |
11月5日(土) | 「京都における数寄者と茶の湯」 講師:谷 晃 氏(野村美術館 館長) ※応募締切:10月5日(水)必着 |
11月12日(土) | 「天下人と茶の湯」 講師:竹本 千鶴 氏(國學院大學 兼任講師) ※応募締切:10月12日(水)必着 |
11月19日(土) | 「京都における公家と茶の湯―そのはじまりと展開―」 講師:谷端 昭夫 氏(湯木美術館 理事) ※応募締切:10月19日(水)必着 |
12月3日(土) | 「中世の文書と典籍にみる「茶」」 講師:羽田 聡(京都国立博物館 列品管理室長兼美術室長) ※応募締切:11月4日(金)必着 |
詳細は図録・目録・関連書籍等
京都国立博物館、読売新聞社、文化庁
キヤノン、大和証券グループ、三井不動産、三菱地所、明治ホールディングス
JR東日本、清水建設、髙島屋、竹中工務店、三井住友銀行、 三菱商事
表千家不審菴、裏千家今日庵、武者小路千家官休庵、藪内家燕庵
NISSHA、非破壊検査
京都商工会議所
京都は国内外から多くの人が訪れる、国際観光都市です。人々を惹きつけるのは、社寺建築や美術工芸、あるいは能や狂言、舞踊など、長い歴史の中で育まれてきた有形・無形の文化的遺産でしょう。そして千年のみやこである京都では、多様な人々を迎え入れてきた、もてなしの心を大切にする茶の湯が発展し、今なお息づいています。
茶の湯の原形は、平安時代末頃に中国からもたらされました。鎌倉、南北朝、室町と時代が進むなかで徐々に和様化し、いまや日本文化を象徴するものとして世界で認知されています。現在でも、茶道の家元や茶家の多くが京都を本拠とするように、京都は茶の湯の歴史のなかで、中心的な役割を果たしてきました。
本展では、各時代の名品を通して、京都を中心とした茶の湯文化を紹介します。連綿と守り継がれてきた茶の湯の歴史と、茶人たちの美意識の粋を感じていただければ幸いです。
国宝 大井戸茶碗 銘 喜左衛門 京都・孤篷庵 <通期展示>
茶の湯は今日、日本を代表する伝統文化として、海外においても広く人々に認識されています。古く中国からもたらされた茶を喫する文化は、時代を経ながら徐々に和様化していきました。特に京都では、唐物を賞玩する武家文化や、社寺の門前で参詣者に茶を振る舞う一服一銭など、中世以来幅広い階層において豊かな喫茶の様相をみることができます。需要の拡大から茶の栽培も活発化していき、京都の地は、「茶の湯」という独自の文化を育む中心的な役割を果たしてきたのです。
私たちが親しんでいる茶の湯がどのように根付き、時代に合ったものへと変化していったのかを、現在も茶の湯が生きるここ京都において、今日まで伝えられてきた名品から感じ取っていただければ幸いです。
国宝 虚堂智愚墨蹟 法語(破れ虚堂)
東京国立博物館(画像提供:東京国立博物館) <前期:10/8~11/6 展示>
重文 黒楽茶碗 銘 ムキ栗 長次郎作 文化庁 <通期展示>
茶葉と茶を喫する文化は、遣唐使などを通じて中国から日本へともたらされ、当時の最先端の文化として受け入れられました。平安時代後期には、茶臼で茶葉をすりつぶして粉末にし、それを攪拌させて飲むという、現在の茶の湯につながる「点茶法」が入宋僧や渡来僧によって伝えられます。茶は、当初薬として認識され、儀式の供物に用いられるなど、仏教とともに広がりました。
茶が日本にもたらされ、点茶法の広がりによって現在に通じる飲茶が確立していく様子を、記録文書や絵画、そして寺院での喫茶の姿を今に伝える四頭茶礼とともに紹介します。
喫茶養生記 断簡 京都・建仁寺 <通期展示>
四頭茶礼道具 京都・建仁寺 <通期展示>
鎌倉時代以降、喫茶は禅宗寺院における生活規範を示した「清規」の中に細かく作法が規定され、茶礼として整えられていきました。一方、武家の会所においては、もてなしの場で茶を楽しむ文化が生まれました。会所とは、茶を喫するだけでなく、連歌や香会などの文芸を行う場であり、そこでは日中貿易によってもたらされた文物が「唐物」として飾られ、賞玩されました。
茶が寺院だけでなく公家や武家などに広まっていくと、良質な茶の生産が進められ、生産量が増えていきます。そうしたなかで、社寺の門前には、参詣する人々に茶を振る舞う一服一銭なども現れ、庶民の身近にも茶が供給され、楽しむことができるようになっていきました。
重文 遠浦帰帆図 伝牧谿筆 当館 <後期:11/8~12/4 展示>
室町時代、武家を中心とした会所での飲茶にみるような、唐物道具を珍重する風潮が強くあるなかで、日々の暮らしのなかにある道具を使用するという、わびの精神に基づく喫茶文化が新たに生み出されました。わび茶の精神は、珠光(1423~1502)の手紙「心の一紙」の一節によく表れています。「和漢のさかいをまきらかす事」という言葉は、唐物(漢)を主体とした茶道具だけではなく、日本(和)でつくられた茶道具を融合させた茶を行うことが大切で、「冷え枯れる」意識をもって茶の湯を行うことを説いています。
わび茶が生じ、発展する過程では、多くの町衆の経済活動がこれを支え、新たな趣向のもとで茶道具もさまざまに生み出されていきました。
国宝 観楓図屛風 狩野秀頼筆
東京国立博物館(画像提供:東京国立博物館) <10/8~23展示>
織田信長(1534~82)、豊臣秀吉(1537~98)をはじめとした天下人たちは、こぞって名物となっていた茶道具の収集を行いました。信長は足利将軍家の茶道具への意識を継承し、「御茶湯御政道」と称して特定の家臣に茶の湯や茶会の許可を行うなど、武家儀礼だけでなく、政治的権威を与えるものとして茶の湯を扱うようになります。さらに、その意識を受け継いだ秀吉によって、天正13年(1585)の禁中茶会をはじめ、大徳寺や北野天満宮での大茶湯が催されるなど、政治的に茶の湯が華々しく飾り立てられました。
信長、秀吉の茶の湯を支えた千利休(1522~91)は、彼ら天下人の茶を体現する一方で、自らの審美眼によって独自の道具を生み出し、それまでの茶の湯にはみられなかった独創性をもって茶の湯を発展させていきました。
重文 千利休像(部分) 伝長谷川等伯筆 古渓宗陳賛
正木美術館 <後期:11/8~12/4 展示>
利休や秀吉が活躍したのち、武家、公家、僧侶、町人とそれぞれの立場において茶の湯が広がっていきます。利休と親交のあった古田織部(1544~1615)は、その茶風を受け継いだ大名茶を確立していく一方で、歪みがあり、「ひょうげもの」と称された形状の茶碗など、織部好みとされる茶道具をつくり出しました。その後も、伏見奉行であった小堀遠州(1579~1647)の華やかな中にもわびのある「綺麗さび」、金森宗和(1584~1656)の繊細で優美な「姫宗和」といった茶風が生み出されます。公家や僧侶の間でも、遠州や宗和、利休の孫の千宗旦(1578~1658)などとの交流を通して、それぞれに茶の湯が確立していきます。さらに、本阿弥光悦(1558~1637)に代表されるように、町人たちの間でも茶の湯が流行しました。
黒織部菊文茶碗 <通期展示>
江戸時代に入り、黄檗僧の渡来とともに新たな中国文化がもたらされました。煎茶もその一つです。京都・宇治に萬福寺を開いた隠元隆琦(1592~1673)は、中国の明時代に主流となっていた煎茶による茶礼を伝えただけでなく、詩書画を茶とともに楽しむ文人趣味の流行を導き、その後の茶道具の製作にも大きな影響を与えました。
また宇治では、製茶技術の向上により、より良質な茶がつくられるようになります。古くから茶の名産地として知られた宇治は、水陸交通の要所であり、風光明媚な地でもあったことから、秀吉も茶摘みの様子を見物しています。茶摘みの光景は、名所宇治の新たな風景として知られるようになりました。
紫泥茶罐 宜興窯 京都・萬福寺 <通期展示>
近代になり、文明開化の名のもとに日本の伝統文化は大きな岐路にたたされますが、茶の湯も例外ではなく、多くの茶道具が海外に流出してしまいます。このような中で、茶家の家元たちを中心に茶の湯を変革していく試みがなされ、欧米の生活習慣にあう椅子とテーブルを用いた立礼の考案など、新しい時代に適した茶の湯が創造されました。また、同時期には学校教育において茶の湯が導入されるなど、礼儀作法として見直されていきます。
近代の政財界にも茶の湯に興味を持つ人々があらわれ、茶の湯を楽しみ、そして、茶道具が収集されるようになります。こうした数寄者とよばれる人々によって、京都においても新たな茶の湯が生み出されていきました。
重文 色絵鱗波文茶碗 野々村仁清作 北村美術館 <通期展示>
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