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方格規矩四神鏡 (ほうかくきくししんきょう)
考古室 難波洋三
1996年05月11日
「……彼は鏡の移ろいゆく神秘に向って身を屈め、あたかも無限へと開かれた窓を見るように凝視(みつめ)ていた。だがその反面、鏡を恐れてもいたのだ。」 ローデンバッハ『鏡』(高橋洋一訳)
現在、私たちが日常生活で使っている鏡は、ガラス板の片面に反射用の銀やアルミニウムをメッキしたものです。しかし、このようなガラスの鏡は、16世紀にイタリアで製作がはじまり、その後、板ガラスの製作技術の向上に伴って世界中に普及したもので、日本でも明治になるまでは、銅合金(どうごうきん)などの金属製の鏡が、主に使われていました。
今日では、光についての科学的な知識が普及(ふきゅう)し、鏡に像が写ることや鏡像(きょうぞう)と実体(じったい)の関係を不思議(ふしぎ)に思う事もなくなっていますが、そのような知識のなかった昔の人々にとっては、鏡は単なる道具ではなく、神秘的(しんぴてき)な器具(きぐ)でした。フランスの詩人コクトーがつくった「オルフェ」という映画では、主人公が鏡を通して生の世界から死の世界へ迷い込むのですが、きっと昔の人々も鏡に写った像や世界に対してこれに類する神秘感や恐怖感を抱(いだ)くことがあったでしょう。ごく最近まで、鏡には魔物(まもの)の正体を見破(みやぶ)る力があるとか、鏡が割れると不吉(ふきつ)である、使わない時の鏡に必ず蓋(ふた)をするように、などといわれてきたのも、このような鏡の特殊な性格が関係しています。日本では、弥生時代(やよいじだい)や古墳時代(こふんじだい)の有力者(ゆうりょくしゃ)の墓から青銅(せいどう、銅とスズの合金)の鏡が多く出土し、神社や寺院にも多くの鏡が伝えられて残っていますが、これも私たちの祖先が、鏡を神秘的なものと考え、これを祭や呪術(じゅじゅつ)に使ったり、権威(けんい)の象徴(しょうちょう)として取り扱ったからです。
このような鏡の呪術的な性格は、鏡の背面に鋳出(いだ)された文様や文字にも、反映しています。それでは、新館1室の中央のケースに展示してある方格規矩四神鏡を例にあげて、鏡の背面に鋳出された文様や文字に、当時の人がどのような思いを込めていたかをみましょう。なお、ここで取り上げる方格規矩四神鏡とは、中国の前漢時代末(ぜんかんじだいまつ)から後漢時代(ごかんじだい)(紀元前1世紀から紀元後2世紀)、すなわち日本の弥生時代にあたる時期に、さかんに作られた銅鏡で、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)を経て日本列島にも多数もたらされています。
方格規矩四神鏡の鏡背面の文様は、古代中国人の、大地は方形(ほうけい)で天はそれをドームのように覆(おお)っているという、「天円地方(てんえんちほう)」の世界観(せかいかん)に基づいて、宇宙の構造を模式的(もしきてき)に表現したものです。具体的には、中央の鈕(ちゅう、紐〈ひも〉を通して持つための装置)のまわりの正方形の区画(方格)は大地、周縁(しゅうえん、鏡背面の縁〈ふち〉の厚みのある部分)は天穹(てんきゅう)、方格の四辺の中央から外へ突出(つきだ)したT字形は天を支える柱と梁(はり)、周縁から内側へ突出(とっしゅつ)した逆L字形とV字形は天をつなぎとめる装置、をそれぞれあらわしたと考えられるのです。そして、鈕と周縁の間にはさまざまな動物などが鋳出されていますが、そのうち、中心となるのは、青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく、鳳凰〈ほうおう〉のたぐい)・玄武(げんぶ、亀と蛇が絡〈から〉んだ像)です。四神(ししん)とよばれるこれらの霊獣(れいじゅう)は、天の東西南北を代表する星座を表現しています。
また、四神などの間を埋めつくした渦状の文様は、宇宙に満ちたエネルギーである「気(き)」と考えられます。そして、この時代に流行していた思想に従って、天地の運航(うんこう)にのっとり正しくこれと合体(がったい)することができるなら、あらゆることが思いのままになる、と考えていた当時の人々は、模擬的(もぎてき)な宇宙であるこの鏡を所有することによって、いくぶんなりとも同様の効果を得ることを期待したのでしょう。方格規矩四神鏡の、周縁の内側などに鋳出された銘文(めいぶん)にも、鏡の所有者に約束された、さまざまな幸福を記したものが珍しくありません。しかし、そのような幸せとは、長生きできる、大金持ちになれる、立身出世できる、など、いささか俗っぽい内容ではありますが……。