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装飾付(そうしょくつき)須恵器(すえき)(須恵器 台付装飾壺(だいつきそうしょくつぼ))
考古室 宮川禎一
1996年07月13日
2022年06月05日更新
古墳(こふん)時代の土器には、茶褐色(ちゃかっしょく)をした土師器(はじき)と灰色(はいいろ)をした須恵器の2種類があります。写真にあげた変わった形の土器(図1)は須恵器の方です。須恵器は古墳時代から奈良(なら)時代にかけてさかんに作られました。須恵器は丘陵(きゅうりょう)の斜面(しゃめん)をくりぬいて作った「あな窯(がま)」のなかで高温で焼かれた硬(かた)い土器です。その技術(ぎじゅつ)は5世紀ごろに朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わってきました。
図1 西宮山古墳出土の装飾付須恵器(須恵器 台付装飾壺) 京都国立博物館蔵
その須恵器のなかでいちばん面白いのは兵庫県(ひょうごけん)たつの市の西宮山古墳(にしみややまこふん)という6世紀のお墓(はか)からみつかった脚付きの壺(つぼ)です。今回はそれをじっくりと見てみることにしましょう。
この壺の面白さはその表面にくっついた人物や動物の小さな像(ぞう)にあります。まず図2を見てください。これは4人の人物なのですが、右側のふたりはとっくみあっているようにみえます。これは相撲(すもう)をとっている場面ではないかといわれるもので、左側のふたりは行司(ぎょうじ)さんかあるいは見物人だとおもわれます。「いや相撲ではなくて男女が抱(だ)き合っている場面だ」というひともいます。しかし見物人がいるというのはすこし変ですね。
図2 相撲をとる(?)人物
『日本書紀(にほんしょき)』という奈良時代の古い歴史書には「當摩(たいまの)蹶速(けはや)」と「野見(のみの)宿禰(すくね)」という力士(りきし)が日本で最初に相撲をとったという神話がのっています。その勝者となった野見宿禰が亡(な)くなった場所が、この須恵器の出土した兵庫県たつの市付近であったといいますから、なにか深い関係があるのかもしれません。(ただし、當摩さんと野見さんの相撲はこのようなとっくみあいではなくて、足をつかっての蹴(け)りあいだったと記されていますが…。)
図3は一頭の鹿(しか)を2匹(ひき)の犬とひとりの人間が追っている狩猟(しゅりょう)の情景(じょうけい)をあらわしているとされます。首のながい鹿に耳をぴんと立てた犬たちが吠(ほ)えかかっているという瞬間(しゅんかん)をうまくとらえているといえるでしょう。猟犬(りょうけん)をつかった狩(か)りのようすは弥生(やよい)時代の銅鐸(どうたく)絵画にも見られます。
図3 鹿狩りの場面(?)
このシーンにもまったく違(ちが)う解釈(かいしゃく)があります。母犬のまわりを子犬がじゃれているという平和な光景だというものです。けれどもこの群像(ぐんぞう)には緊迫感(きんぱくかん)があるので、やはり狩猟説のほうがぴったりくると思うのですが、いかがですか?
図4は背中(せなか)に荷物をかつぐ人間ひとり(左)と棒(ぼう)で荷物をはこぶ人間ふたり(右)をあらわしています。荷物が何かはわかりにくいのですが、たとえば古墳を築(きず)くための土をはこんでいるというような土木作業の場面なのでしょうか。あるいはとなりの情景(じょうけい)(図3)からみて狩りの獲物(えもの)をかついで帰るようすなのでしょうか。
図4 荷物をかつぐ人物
図にはあげませんでしたが、もう1箇所(かしょ)にも小さな像の付いていたあとがあります。犬が1匹残っていますので、こちらも狩猟の場面だったようです。
この壺が出土した西宮山古墳は長さ35mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)でした。後円部の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)からはこのほかにも須恵器の壺や椀(わん)、高杯(たかつき)などがたくさんみつかりました。また馬具(ばぐ)や鉄剣(てっけん)・矢じり、アクセサリーとしてのガラス玉、金製(きんせい)の耳飾(みみかざ)りなども出土しています。6世紀中ごろにたつの市付近をおさめていた豪族(ごうぞく)のお墓であったとみられます。
このような小像をつけた壺は岡山県(おかやまけん)・兵庫県を中心に西日本で多くみつかっています。その題材には相撲や狩猟のほか、鵜飼(うか)いや乗馬(じょうば)・舞踊(ぶよう)などがあります。それらは古墳時代の生活のようすを私(わたし)たちに伝えてくれる貴重(きちょう)な情報源(じょうほうげん)なのです。
みなさんも一度この壺(つぼ)の前で立ち止まって、いったいなにをしている場面なのかを推理(すいり)してみて下さい。